【世界最大の親日国家日本・トルコ共同制作映画 「海峡1890」を見て感激!】
本作品は、日本とトルコの友好125周年を記念して、合作及び朝日放送創立65周年記念作品第2弾、BSフジ開局15周年記念作品として制作されました。
今から125年前の1890年、オスマン帝国は大日本帝国への親善使節団を派遣することになり、ムスタファ機関大尉ら600名の軍人がエルトゥールル号に乗り込み出航しました。
使節団は明治天皇への謁見を果たし、トルコへの帰国の途中、嵐に遭い、和歌山県串本
村の沖で座礁しました。
夜間、すさまじい爆音にびっくりした村民は嵐の中、岩礁の現場に駆けつけます。そし
て、血まみれになっている多数の軍人の悲惨な光景を目の当たりにします。
串本村では長年の慣習として、航海で遭難した人間は国籍を問わず救出し、死者を弔う
ことにしていました。
村民は一睡もせずにけが人を救出し始めました。老若男女が一致団結し、けが人の手当
と回復に努めました。その結果、何とか69名が生き残りました。
串本村は貧しい村で、食料も満足にありませんでした。しかし、村長が中心となって村
民を説得し、トルコ人の為に提供しました。
一方、死者の遺留品は女子供が中心となり、1つ1つ丁寧に血痕を取り除き、衣類は洗
い、破れている衣類を繕っています。
死者の合同葬儀は、トルコ人と村民が一緒に弔いました。トルコ人はイスラム教ですが
、ここでは宗教の違いを超えて、一緒に死者の冥福を祈りました。
この部分は一番感動し、私も含め映画の観客から嗚咽の声が漏れてきました。
元気を回復したオスマン帝国軍人は、ドイツの軍艦に乗って帰国しました。ここで村民
とトルコ軍人とは固い友情で結ばれました。
さてそれから時が下って95年後の1985年です。
イラン・イラク戦争の真っ最中です。
時のイラクのフセイン大統領が48時間後に無差別攻撃をするという非常事態宣言を発し
ます。
当時テヘランの日本人駐在員は300名いました。
現地日本大使館は、政府に救援機を出すように要請します。しかし、「航空機の安全の
保障ができないから出せない」、又、自衛隊は「国会承認が下りない」との理由で断ら
れました。
万策尽きたところ、一か八かトルコのオザル首相にダメ元でトルコの救援機の提供を要
請しました。
オザル首相は、100年前にトルコ軍人が日本人に救出されたことを思い出し、救援機を出
す決意をします。トルコは安全の保障がなかったから恩を受けた日本のために救援機を
出す決断をします。
オザル首相は、救援機のパイロットを募ります。すると多数のパイロットが手を上げま
した。感動的なシーンでした。
テヘラン空港では、多数のトルコ人が本国への脱出のために大混乱でした。彼らはトル
コ航空機最終便を待っていました。これに乗り遅れると、フセインの無差別攻撃を受け
、死の危険に曝されます。
そこにトルコ大使館員が、「今こそ恩になった日本人の子孫のために救援機を提供しよ
うじゃないか!」と訴えかけます。
最初は渋っていたトルコ人は、「自分たちは2日かけて車で脱出する。救援機は日本人に
譲る」と言って、日本人用に搭乗口を開け始めます。
このシーンも涙ものでした。
100年もの時を超えての日本・トルコの友情物語、今年一番感激した映画でした。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
今年安保法制反対運動が巻き起こりました。彼らに是非本映画を見て欲しいと思います
。頭でっかちの平和主義では日本国民を守れません。
今や全世界で日本人がビジネスで活躍し、旅行へと出かけています。
仮にイスラム国から多数の日本人が人質にあった場合、イラン・イラク戦争同様手をこ
まねいてみているだけなのでしょうか。
もっともっと現実に目を向けて、日本人を守る具体的方法を議論して欲しいと思います
。
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少子化が進む日本社会で今後移民問題は避けて通れない問題です。
その時、トルコのような親日国家から移民を受け容れたら良いと思います。
戦前、日本は大東亜共栄圏の旗印の下、アジアの同胞を欧米植民地主義と人種差別から
解放し、彼らの独立を促すきっかけを作ってきました。
その時の理想が実現し、中韓、北朝鮮3国以外は親日国家です。
日本はもっと自分に自信を持って、今後移民政策を進め、アジア諸国との発展繁栄を目
指していったら良いと思います。
それが日本を救い、そしてアジア各国への貢献と発展繁栄に繋がっていくことと思いま
す。
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