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2016年4月 1日 (金)

「マーキュリー通信」no.2923【【ワンポイントアップの営業力-65「ビートルズをつく った男に学ぶスーパー営業術」】

ビートルズの誕生は1962年、日本に入ってきたのは1964年でした。
当時、私たちの親の世代は、ビートルズに猛反対でした。ビートルズの歌も長髪にも拒

否反応を示していました。

当時米国ポップスが主流の時代で、日本の音楽業界でもビートルズの歌がヒットするこ

とに懐疑的でした。

そんな時代背景の中、東芝EMIの高嶋弘之氏がビートルズを日本でも流行らせようと奔走

します。

ビートルズが売れているように見せかけるために、ビートルズのレコード発売枚数を一

桁、二桁ごまかしたそうです。
東芝の担当者は全員ビートルズのヘアカットを真似て、ビートルズをPRしました。

京橋テーラーの社長には、ビートルズの制服である襟無しスーツを販売してもらいまし

た。

ラジオのディスクジョッキーでは、ビートルズの曲をサクラで仕掛け、ファンからのリ

クエストが殺到しているように見せかけたり、ことある毎にビートルズをPRしました。

その甲斐あって、日本では第1弾「抱きしめたい」の発売にこぎ着け、大ヒットさせるこ

とに成功しました。
多くのビートルズファンは「プリーズ・プリーズ・ミー」が第1弾と思っていますが、第

1弾は「抱きしめたい」です。
「抱きしめたい」の英語タイトルは"I want to hold your hand"ですが、日本人向けの

タイトルとして、高嶋弘之氏が「抱きしめたい」という日本語タイトルを考えたそうで

す。
尚、ビートルズのデビュー曲は、"Love me do"ですが、この曲では売れないと思い、「

抱きしめたい」にかけたそうです。

さて、あれから50年以上が経過し、ビートルズを売り出したノウハウがそのまま現代の

ビジネスに通じるかどうかわかりませんが、営業成功の裏には、担当者の並々ならぬ熱

意は現代にも通じると思います。

高嶋弘之氏は、何度も何度も挫折を味わいながら、ビートルズを大成功させることがで

きました。高嶋弘之氏のこの努力のお陰で、日本でもビートルズが大ヒットし、ファン

として感謝しています。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

ビートルズが日本で大旋風を起こしたのは1964年、東京オリンピックの年でした。当時

私は中学3年生、ビートルズの大ファンでした。

中学生の小遣いが月額300円の時代に、ビートルズのシングル盤1枚330円は非常に高価で

した。私は当時アルバイトをしていて、平均月額3千円程度の収入があったので、アルバ

イト代を使って、ビートルズのシングル盤を買い漁っていました。

アルバイトから帰ると、受験勉強そっちのけでビートルズの曲を聴きまくっていました

アルバイトは日本通運の宅配便でしたが、自転車で荷物を運びながら、ビートルズの歌

を口ずさんでいました。

高校受験を甘く見たお陰で高校受験は失敗しました。しかし、ビートルズのお陰で英語

は得意科目になりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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