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2016年7月17日 (日)

「マーキュリー通信」no.3001【その時人生が動いた-29「今から丁度50年前、自分の人 生を大きく変えた出来事」】

私の幼少期は波瀾万丈のスタートでした。

裕福な瀬戸物商の長男として目黒区祐天寺で生まれました。
しかし、その直ぐ後に、父は株で騙され、家業は倒産し、貧乏のどん底へ落ちました。

その結果、家を売り払い、母の実家、調布に引越し、6畳一間で暮らしました。
私は1歳の時に、はしかにかかり、治療費を払えない貧乏な我が家では命は助からない

と言われていました。

しかし、祖父が治療費を出してくれることになり、九死に一生を得ました。

父は倒産のショックから立ち直れず、仕事をしませんでした。その影響で母は、金策に

走り回り、私が5歳の時に過労で病死しました。

母の病死にショックを受けた父は、その翌年、1つ年下の妹と私の二人を残し、家出し

てしまいました。

実家が調布で町の自転車屋を営んでいたので、そちらに二人は引き取られました。幸か

不幸か伯父さん夫婦には子供がいませんでした。当然私は自転車屋の家業を継ぐことに

なっていました。

しかし、父が家出中だった為、養子にはまだなっていませんでした。

さて、10年後の今から丁度50年前の本日、私が高校2年生の時に、父は家出から突然姿を

現しました。

その時の父の容姿は、ブルーカラーで日焼けしており、アルコールが少し入っていたせ

いか若干赤ら顔でした。

その間の10年間私と妹を育ててくれた母親代わりの祖母が私に聞きました。
「ノブオ、今後どうする?」
私は、「血が繋がっているので一緒に住まざるを得ないよ」と応えました。

その結果、私が自転車屋の家業を継ぐ選択肢はなくなりました。

その時私は父親のみすぼらしい姿を見て、「絶対に父親みたいにはなりたくない!」と

心に誓いました。

私は父を憎んだことは一度もありませんでしたが、父親は私にとり反面教師でした。

当時を振り返ると、父は自分の弱さに負けてしまったのだと思います。

しかし、父親のような弱い人間だと、結局周りに迷惑をかけることになる。だから、自

分自身努力精進し続けなければならない。それを怠ると父のような人間となってしまう

という恐怖心が心の奥底にあるのだと思います。

父は今月で93歳、後妻と一緒に八王子のマンションで老後の生活を過ごしています。
父は、以前「おまえの面倒は受けない」と言っていましたが、介護老人にもならず、私

に言ったとおり、周りに迷惑をかけず、最晩年を静かに生きています。

父が50年前に家出から戻ってきたことで、私の人生が大転換することになりました。
今振り返ってみると、父との関係の中で現在の私があるのだと父には感謝しています。

私の人生を振り返ると、幼少期も含め、現在に至るまで極めて運の強い人間だと思って

います。

その意味で世間に感謝し、私自身はこれまで人生で受けてきた数多くの恩を世の中にお

返しする番だと思っています。私のこれまでの経験を世間の役に立つ方向で恩返しした

い、「報恩の人生を送りたい」と思い、日々活動しています。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

前号のメルマガで入力ミスがありました。

最後の行に、「今後も○○のメルマガのご支援よろしくお願い申し上げます。」と記述

してありましたが、ご不快の念を抱かせたことをお詫びいたします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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