「マーキュリー通信」no.3125【人生に勝利する方程式-143「自分の人生を振り返って運 が良いと思えるか」】
私の人生を振り返って、4度ほど死に直面しました。
1度目は、1歳の時、はしかにかかり、医師から助からないと言われました。
当時、父親は家業の瀬戸物の卸問屋が倒産し、貧乏のどん底でした。当然、私の治療費
はありませんでした。
このままでは私ははしかで死ぬことになるので、祖父が孫のために治療費を出してくれ
て、一命を取り止めました。
2度目は、20代後半の頃のことでした。
仕事で代理店の人と一緒に横浜鶴見に車で出かけました。そこは車が走っていない広大
な砂地でした。
当時ペーパードライバーだった私は、ここなら大丈夫と車を運転し始めました。
すると砂地のためハンドルを取られ、慌ててブレーキを踏んだところ、崖の方に車が蛇
行運転し始めました。
そして、崖から転落しました。これで万事休すと思ったところ、ボディが崖の出っ張り
に引っかかり転落は免れました。
3度目は、同じく20代後半の頃のことでした。
神田川沿いの3畳一間の親友のアパートで酒を飲んでいました。
その時、やかんにコンタクトレンズを入れて、煮沸消毒していました。
友人と私の二人はそのまま眠ってしまいました。
朝起きてみると、やかんのお湯はなくなり、一酸化炭素が部屋の中に充満していました
。普通ならそのまま中毒死するところでしたが、安普請のアパートのため、窓からすき
ま風が吹いてきて、何とか助かりました。
4度目は30代前半カナダ三井物産に駐在の頃のことでした。
東京から石炭研修員がやってきて、冬の雪道を運転していました。
彼が運転したいと言ってきたので、運転手を代わりました。
しかし、彼はハンドルを取られ、慌ててブレーキを踏んだため、そのまま雪道の崖から
車毎落ちていきました。幸いボディが引っかかり、崖下への転落は免れました。
しかし、冬の雪道は車の通行は殆どなく、当たりはマイナス20度なので、エンストした
為、このままでは凍死してしまいます。
幸い1時間後には車が通り、何とか助かりました。
1度目以外は全て自己責任ですが、その時の教訓が今でも生きています。
その他、チャレンジングな私ですので、人生の途上で事業の失敗等数多く経験してきま
した。
その度毎に思わぬ出会いがあり、助けられてきました。
60代後半の現在、多くの人に助けられてきた自分がいて、その為に現在の自分がいるの
だと感謝しています。
だから今は世の中に恩返しする番だと思って生きています。
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