「マーキュリー通信」no.3397【ワンポイントアップの人間力-128「今自分は活かされていることを知ると感謝の心、報恩の心が湧いてくる」】
私の人生はスタートから波瀾万丈でした。
1歳の時にはしかにかかりました。医者からは死を宣告されていました。
菅谷家は貧乏だったため、私を医者に連れて行くお金がありませんでした。
それを見ていた祖父が孫のためと治療費を捻出してくれました。
その甲斐あって九死に一生を得ました。
その後、3度も死と直面し、その度毎に助かりました。
一方で、私自身強運に恵まれてきました。
カナダに駐在の頃、鉄鋼部門の仕事になじめなく、三井物産を辞めようと思っていました。
そんな時、中曽根内閣時代に電電公社が民営化され通信の自由化が始まることになりました。
これをビジネスチャンスと捉え、三井物産でも情報産業部門を創ることになりました。
そこで私は当時のカナダ三井物産社長に新しくできる情報産業部門への異動を直訴しました。
もしノーなら三井物産を辞める覚悟でいましたが、幸いオーケーを頂きました。
情報産業部門へ異動後、情報産業部門中興の祖の一人、実力者星崎室長(当時)の下に配属されました。
その時、テレマーケティングの新会社もしもしホットラインの創業の話となり、私が責任者に任命されました。
株式会社もしもしホットラインは通信の自由化の波に乗り、年商1千億円、東証一部企業へと順調に業績を伸ばしました。
その時の創業経験を活かし、その10年後三井物産を退職し、現在に至ります。
それ以外でも世界的、日本の大事件、第1次、第2次石油危機、田中角栄首相の列島改造計画等全て私の人生にプラスに働いてきました。
そのような私の人生の半生を振り返り、今自分は活かされていることを知ると感謝の心、報恩の心が湧いてきます。
従って、残りの後半の人生は自分のこれまでの経験を活かしながら世のため人のための人生を生きようと想い、行動しています。
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