「マーキュリー通信」no.3415【生涯現役社会が日本を救う-30「ドストエフスキーの小説 「 罪と罰」の世界が展開すると」】
昨日、八王子の実家を1年ぶりに訪ねました。
昨年、94歳の父が高血圧で倒れたときに実家を訪ねた際、マンションの1室はゴミ屋敷と化して
いました。
昨日は妹と一緒にゴミの処分の為に訪ねました室内からは異臭、悪臭が漂っていました。
更に驚いたことに、冷蔵庫を開けると食品がぎっしりと詰め込まれ、悪臭を放っていました。
賞味期限切れの為に悪臭を放ち、中には10年前の食品も入っていました。
廃棄処分は予想以上に手間取りました。
88歳の継母(父の後妻)が要介護度2の為、賞味期限切れの意味が分からず、廃棄処分しようと
すると抵抗して、袋詰めした食品を取り出そうとするからです。
幸いマンションのため、いつでもゴミが捨てられるので全てのゴミを捨てることができました
。
廃棄処分は4時間以上かかかり、全部で50袋以上捨てました。
父は7月で95歳となりますが、耳が遠い以外は一応かくしゃくとしていました。老人ホームへの
入居を奨めたところ、既にみずほ銀行にお願いしたとのことです。
問題は継母です。ヘルパーの派遣をしても拒絶して追い返してしまいます。耳が聞こえないの
で、会話は筆談です。
実家の実態を見て、超高齢者社会の問題を垣間見ました。
その時、ドストエフスキーの小説 「罪と罰」を思い出しました。
ラスコーリニコフという青年が、強欲な老婆を殺害する小説です。
彼の取った行為は、法的には殺人罪なのでそれなりの処罰を受けます。
しかし、社会にとって害悪を流す老婆を殺害したことは社会の為になるから神の目から見て果
たして罪になるか?という問いかけでした。
日本でも今後同様の事件が起こり、ドストエフスキーの小説 「罪と罰」が社会的議論の的にな
るかもしれません。
そんなことを考えさせられた一日でした。
そして私のミッションである生涯現役社会構築の重要性を再認識させられた一日でした。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
私の母は5歳で病死しました。その翌年、家出をして10年間戻ってきませんでした。
そのことが父は私に負い目があります。
一方、40年以上前に再婚しました。
父からすると私の実母より継母と暮らした期間の方が圧倒的に長いわけです。
律儀な父は継母の顔を立て、実の子供との接点を断ってきました。本来なら妹に3人の娘がいる
ので、孫の顔も見たかったでしょうが、それを断ってきました。
私の方から実家に電話をして会おうとしても、継母に気を遣い、私と会うことを避けてきまし
た。
ところが昨年3月に救急車から私の携帯に電話があり、父が高血圧で倒れたとの連絡があり、久
しぶりの再会となりました。
その時に実家はゴミ屋敷と化して、愕然としました。
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