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2018年8月 2日 (木)

「マーキュリー通信」no.3511【人生に勝利する方程式-191「チャレンジする対象が大きけれ ば大きいほど得られるモノも大きい」】

今から49年前の本日、私が二十歳の時に米国に向けてさくら丸という船に乗船した日でした。

当時朝日新聞は新聞配達員の人手不足対策として、朝日洋上大学制度を立ち上げ、私のその第1

期生として応募しました。男子学生300名、女子大生75名、朝日新聞から25名、総勢400名が参

加しました。

朝夕朝日新聞を1年間配達して、その給料で米国に行けるという制度でした。不足分は朝日新聞

が補填しました。

乗船期間は8月2日から9月7日までの37日間。途中、ハワイ、ロス、シスコと立ち寄りました。

船上では、米国の政治経済文化歴史を勉強しました。クラブもあり、私は剣道部に属しました

生まれて初めて見る米国、何もかも大きく感動感激の連続でした。日本との経済格差を思い切

り体感しました。

当時1ドル360円の時代でした。米国の物価を1ドル360円で計算すると何もかも高く感じました

。1ドル200円が物価の感覚でした。

当然、made in Japan製品がどっと米国になだれ込み、日米貿易摩擦の火種となっていました。

その後、日本円が切り上がり現在の100円台まで上昇していきました。
当時、made in Japan製品は、安かろう、悪かろうの時代でした。
お土産を買う際には、made in Japan製品でないことを確認して買いました。

一方、新聞の朝夕配達は非常に大変でした。

毎朝4時半に起きて7時半まで配達します。
雨風、暴風雨、雪と自然現象との戦いです。暗闇から犬に吠えられ、噛みつかれそうになった

た経験。暗闇の中、工事中の穴にも落ちました。
その年は異常気象の年で、4月に2回も大雪が降りました。雪の日は自転車が使えないので、歩

いて300部を配達、12時頃までかかりました。

そんな大変な思いをして経験した朝日洋上大学ですが、得たモノは大きかったです。

米国の政治経済文化歴史に直接触れた以外に、参加した大学生375名、そして朝日新聞スタ

ッフとの交流もあり、同じ釜の飯を食った仲、素晴らしい仲間が多数できました。

新聞配達は非常に健康に良いです。私の人生の中で、一番健康だったのが新聞配達をした1年

間でした。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

当時、朝日新聞は自他共に認める一流紙で、その自負を持っていました。

その後、南京大虐殺事件、従軍慰安婦報道の虚偽報告等、今や売国奴新聞の汚名を着せられ、

その地位は地に堕ちました。今やマスゴミと罵られています。

朝日新聞のファンだった私としては非常に残念です。

過去の罪を素直に認め、国民に懺悔して立ち直って欲しいと思います。

さもないと朝日新聞不買運動も起きており、このまま廃刊に追い込まれていきますよ。

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