「マーキュリー通信」no.3622 人生に勝利する方程式-198「銃との戦いに自由が勝利!記念切手になった女子体操金メダリス トチェコ チャフラスカ選手」
池上彰のTV番組「現代史を歩く」では、チェコの社会主義革命を採り上げていました。
その中で東京オリンピックの体操金メダリスト チェコのベラ・チャフラスカ選手にスポット
ライトを当てました。
同選手は、東京オリンピックでは一番人気のあった美人の体操選手で、私もファンで、一番印
象に残った選手でした。今でもその華麗な姿が白黒テレビからの映像が脳裏に焼き付いていま
す。
チャフラスカ選手は、次の1968年メキシコ五輪でも金メダルを取り、引退しました。
丁度その頃社会主義経済、共産主義経済が大きな問題としてクローズアップされ始めた頃でし
た。
役人主導の計画経済の非効率さから来るモノ不足、そして言論、宗教弾圧が大きな問題となっ
ていました。
その時に自由を求めて立ち上がったのが新たに政権の座に着いたドプチェク大統領でした。
これを認めると社会主義国家体制の崩壊に繋がるとの危機感から、当時ソ連のブレジネフ書記
長は、プラハに大量の戦車を送り込みました。
これをプラハの春と呼び、丁度私が大学1年生の頃でした。
1968年にプラハ宣言がなされ、チャフラスカ選手もそれに署名しました。当時、チェコのヒロ
インチャフラスカ選手は自由の女神の象徴でした。
しかし、ドプチェク大統領は追放され、ソ連の傀儡政権となりました。
チャフラスカ選手も追放され、掃除婦をして何とか生き延びました。
その後、政府からプラハ宣言署名の撤回との交換条件で公職復帰の提案がありました。
しかし、チャフラスカ選手はそれを拒否しました。
しかし、共産主義体制の問題は益々深刻化し、ついには1989年ベルリンの壁崩壊となり、ソ連
は崩壊しました。
そして、21年ぶりにドプチェク大統領の名誉が回復されました。その時チャフラスカ選手も同
時に名誉回復となり、国民から大熱狂の内に迎えられました。
その後、チャフラスカ選手はその功績を称えられ、記念切手にもなりました。
同選手は大の日本ファンで、何度も来日し、チェコ日本友好協会の総裁にも就任しました。
来年の東京オリンピックには是非参加したいと言いつつ、2016年膵臓がんのため死去。享年74
歳でした。
今、隣国中国では、資本主義経済を採り入れ経済発展しています。しかし、共産主義の本質自
由を認めない、無神論から中国国内ではかつてのチェコの再現状態となっています。
即ち、言論弾圧、宗教迫害等が益々深刻化し、国際的な問題となっています。
その波が周辺各国まで及び、日本にも及んでいます。
池上彰のTV番組「現代史を歩く」を見て、自由、民主そして信仰の大切さを改めて実感しまし
た。
今年5月から元号が変わります。
新しい時代の国家コンセプトとして、「自由、民主そして信仰」を核に入れて欲しいと思いま
す。それが国家永続の最重要事項と考えます。
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