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2019年4月 6日 (土)

「マーキュリー通信」no.3681【今年は人種差別撤廃提言100周年の年】


今から100年前の1919年2月13日に、日本は国際連盟設立準備委員会で、世界に先駆けて人種差

別撤廃をパリで提言しました。

この提案に参加国の内、賛成17,反対11で可決される運びとなりました。

しかし、委員長を務めるウィルソン米国大統領が、「このような重要案件は全会一致で承認さ

れなければならない」と、これまでの前例を否定し、この提案を否決してしまいました。

当時、米国では黒人の人種差別が当然のごとく行われていました。
又、当時の世界は欧米による植民地支配全盛の時代で、白人以外は人間として認められていな

い時代だったので、日本の人種差別撤廃提言には否定的な空気でした。

日本はその当時から人種差別には否定的でした。
ドイツと三国軍事同盟を締結した後も、ヒットラーがユダヤ人大量虐殺した際にも、リトアニ

アの領事館に勤務していた杉原千畝がビザを発給して、多くのユダヤ人を救いました。
その時も、日本政府は人道的見地から杉原千畝を支援しました。

当時の日本は、日清、日露戦争で勝利し、更には第一次世界大戦でも戦勝国側につきました。

非白人である日本人の存在は、白人国家からだんだん煙たがられる存在となって来ました。

そして、だんだんと日本の首を締め上げるように欧米の風潮は切り替わっていきました。
その結果、貿易立国である日本にとって必要不可欠な石油資源の全面禁輸となり、日米開戦へ

と米国は誘導していきました。

平成がもうじき終わりますが、この時期に日本を中心とした近現代史の勉強を今しているとこ

ろです。

勉強の成果を読者の皆様にお届けできたら幸いです。

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