「ナポレオンと東條英機」、ナポレオンは言わずと知れたフランスの英雄です。
一方、東條英機は、日本を戦争へと導いた当時の首相として日本人には悪いイメージが定着し
ています。
しかし、理系博士武田邦彦氏は、「ナポレオンと東條英機」を先入観認識でなく科学的事実に
基づく歴史認識で捉え、「ナポレオンと東條英機」(KKベストセラーズ)を著しました。
私は読書後毎回5段階評価していますが、本書は数少ない5点満点の書です。
ナポレオンは1789年のフランス革命後、ヨーロッパに君臨し、一気にヒーローとなりました。
一方、東條英機は日露戦争後、1941年の大東亜戦争開戦時の首相でした。大東亜戦争では日本
は負けましたが、その後アジアの独立、更にはアフリカ、中南米諸国が欧米の植民地から独立
していきました。
※日米の戦争を太平洋戦争と言っていますが、これは米国側の呼称で、日本側の呼称は大東亜
戦争でした。GHQに使用を禁止されたため、今でも太平洋戦争と呼んでいます。
大東亜戦争開戦後の1943年11月5日~6日、東京で大東亜会議を開催しました。その時の主催者
が東條英機首相でした。
参加国は日本、志那、満州、フィリピン、ビルマ、インド、タイのアジア7ヶ国でした。
その時に大東亜共同宣言を発表していました。
1.大東亜各国は道義に基づく共存共栄の秩序の建設
2.大東亜各国は相互に自主独立を尊重し、互助の精神に基づき、親和を確立する
3.大東亜各国は、相互に伝統を尊重し、各民族の創造性を伸張し、文化を高揚する
4.大東亜各国は、経済的連携を緊密にし、相互発展を図る
5.人種差別の撤廃と資源の開放
当時のアジアは、欧米の植民地政策がピークの時代でした。独立国家は日本とタイだけでした
。
基本精神は、欧米の植民地政策を廃し、アジア諸国が独立していくことでした。
又、白人至上主義の時代で、白人以外は人権を認められていない時代でした。
丁度今から100年前の1919年、第一次世界大戦終了後に日本は人種差別の撤廃を提案しましたが
、米国のウィルソン大統領が否決しました。
当時米国では黒人差別が大きな問題となっていた時代でした。
一方、大東亜戦争は、日本が真珠湾攻撃で奇襲をかけたとの歴史認識です。
しかし、現実には反日の大統領フランクリン・ルーズベルトが全て仕組んだものであることは
多くの識者の定説となっています。
当然、フランクリン・ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に察知していました。
大東亜戦争で敗れた日本は、東京裁判にかけられ、犯罪者扱いされます。
そして、当時の責任者東條英機首相はA級戦犯の汚名を着せられます。
東京裁判は、戦勝国の論理により戦敗国を裁いた裁判で、国際法上では認められいません。
GHQの最高指導者マッカーサー将軍も日本の戦争は自衛戦争であることを認めています。
日本軍はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略した米国軍と戦った自衛の戦争でした。
それが大東亜会議で明確に宣言しています。
要は、欧米の植民地となり人種差別を始め、様々な苦しみを味わっているアジア同胞を解放し
ようする意図です。
その証拠に、アジア諸国は大なり小なり皆親日国家です。日本のお陰でアジア諸国は開放され
、欧米の植民地から独立できたわけですから。
中国と韓国、北朝鮮は、日本から受けた大恩を忘れ、反日を標榜することで、自国の政治の過
ちを国民の目から反らせるために日本に向けています。
詳細は、本書に譲るとして、東條英機首相は近現代の歴史上の大英雄として本来は賞賛される
人物といえます。
以前、渡部昇一著「東條英機歴史の証言」を読んだときに、東條英機首相に対するイメージが
一新しました。
東京裁判で、東條英機首相は、日本の引き起こした大東亜戦争は自衛のための戦争であり、決
して侵略ではないと断固主張しました。
そして、国体護持、即ち天皇制を是非存続して欲しいと訴えました。
又、戦争責任は天皇にはない、自分が首相として戦争責任をとると明言し、巣鴨プリズンで処
刑されました。
東條英機首相の発言は、その後の国体護持に影響を及ぼしたとも言えます。
戦後74年が経ち、東條英機首相の名誉はそろそろ回復しても良いと思います。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
私の戦後史の見方が一変したのは、一橋大学名誉教授佐藤 和男著「世界がさばく東京裁判」
でした。
現在の日本の教育はいわゆる自虐史観、即ち日本はアジア諸国を侵略した悪い国としてで書か
れています。これは東京裁判史観に基づいています。
しかし、同書を読むとそれが全くの誤解、偏見であることがよく分かります。
この東京裁判史観に基づく自虐史観が日本の教育を歪めています。
私もその1人でした。
戦後74年経ち、正しい歴史認識をもっても良いのでしょうか。
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