「マーキュリー通信」no.3763【日本の近現代史に大きな影響を与えた米国大統領フランクリン 「マーキュリー通信」no.3763【日本の近現代史に大きな影響を与えた米国大統領フランクリン・ルーズベルト】
米国大統領フランクリン・ルーズベルト(1882年~1945年、大統領在任期間1933年3月4日 –
1945年4月12日)は大の日本人嫌いの大統領でした。
彼はコミンテルンの影響を受けた為に、ソ連のスターリンに好意的だったと言われています。
これが戦前、戦後の世界及びに大きな影響を与えることになります。
当時の国際社会は白人主導の世界であり、白人以外は人間として認められていない時代でした
。
そんな中、極東の日本だけが日清日露の両戦争に勝利し、非白人の世界では拍手大喝采でした
。一方で、白人の世界は警戒心を抱いていました。いずれは日本を叩かなければならない気運
でした。
第1次世界大戦はは、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国対中央同盟国の戦闘
により繰り広げられた世界大戦でした。
当時の米国民は厭戦気分でした。
そこで、フランクリン・ルーズベルトは周到な日本侵略作戦を立てます。
資源が乏しく輸入に頼っている日本に対し、石油、食糧等の戦略物資を断つ作戦です。米国か
らは石油の輸出を禁止しました。
更にはABCD(America, British, China, Dutch)包囲網を構築し、日本への戦略物資を断つこと
にしました。
このような厳しい国際情勢の中、日本はそれでも戦争回避に向け、最大限の外交努力を続けま
した。
そして、日米交渉において、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦直前の1941年(昭和16年)11月27日
に、米国ハル国務長官は日本に対し最後通牒ハルノート【Hull Note】を突きつけました。
ハルノートの内容は、当時の世界情勢から受け容れがたい内容でした。これで事実上日本を戦
争に追い込みました。
フランクリン・ルーズベルトは、ハルノートの内容を一切米国民に開示しませんでした。開示
したら、米国側のひどい仕打ちに日本に対する同情が出ることを恐れたからです。
その結果、日本は真珠湾攻撃へと突き進むことになるわけです。
しかし、真珠湾攻撃の情報をフランクリン・ルーズベルトは事前に知っていたことは今では米
国側も知っています。
日本に真珠湾攻撃され米国側は多大な被害を受けました。これにより米国民の「Remember
Pearl harbor 日本憎し」の気運が一気に高まりました。
自国に多大な被害を与えてでも、フランクリン・ルーズベルトは、憎き日本を叩くことを決意
しました。
◆参考文献:「真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々(元米国トリビューン紙記者ロバート
・スティネット著)
しかし、日本敗戦の直前の4月12日に脳卒中で突然死しました。
その後を継いだのが当時の副大統領トルーマンでした。
トルーマン大統領は、当時完成したばかりの原爆を広島と長崎に2発落としたときの最高責任者
でした。
当時、日本は事実上敗戦状態であり、原爆投下の必要性はありませんでした。
しかし、早期戦争終結という大義名分の下、原爆投下が実行に移されました。
この詭弁も戦後、当の米国を始め日本の多くの有識者により論破されています。
そして、戦勝国による東京裁判が実行されました。
東京裁判では東条英機首相等がA級戦犯として処刑されました。
東京裁判は今では国際法違反として無効とされています。
なぜなら、戦勝国が戦敗国を裁く権利などないからです。あるのは賠償金と領土の割譲です。
日本は多額の賠償金を支払、満州、朝鮮半島、台湾、樺太等の領土を放棄しました。
尚、東京裁判の時に、米国は突然南京大虐殺事件30万人説を主張し始めました。
南京大虐殺事件は、当時のトップの蒋介石や毛沢東も知らなかったでっち上げです。
これが現在でも中国に引き継がれています。
尚、30万人説の根拠は、原爆投下と東京大空襲を始め各地に大空襲をして30万人程度の民間人
を殺戮したので、同じ程度にしておけと言う全くいい加減な根拠のないものでした。
原爆投下と大空襲は明らかな戦争犯罪でした。
その後、米国はGHQを置き、マッカーサー元帥をトップに占領政策を開始しました。
占領政策の基本は3点でした。
軍部を解体して、米国に刃向かえないようにすること。
財閥を解体して、経済力をつけさせないこと。
そして、日本軍の強さの核となる宗教(神道)の否定
その基本方針が、現在の日本国憲法に色濃く反映されています。
一方で、3S(スポーツ、シネマ、セックス)を流行らせ、日本国民のガス抜きをしたことです
。
米国は徹底した検閲を行いました。これが30万人もの日本人を大虐殺した米国に対し大半の日
本人が恨みを抱いていない理由となっています。
一方、同じ白人のソ連のスターリンの共産主義を容認したことです。
その結果、国連の常任理事国にソ連と中国の2ヶ国も共産主義国家が入ることになり、戦後の国
際政治をいびつにしてしまったことです。
もし、フランクリン・ルーズベルトが共産主義の脅威に早く気付き、日本叩きをしなければ、
国際政治は大きく変わっていたかも知れません。
戦後74周年を迎えるに当たり、現在の日本の政治経済社会情勢は、未だに終戦直後の歪められ
た状況にあることを今一度「知らないことを知る」必要があると思います。
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