「マーキュリー通信」no.3769【人生に勝利する方程式-205「伝説のマラソンランナー君原健二のマラソン人生に学ぶ」】
私の年代では、君原健二氏(1941年生まれ)は前回の東京オリンピックで一番印象に残った選手でした。
特にマラソンは、新しくできた甲州街道の折り返し地点が我が母校調布中学校の直ぐ近くだったので、全校の先生、生徒が応援に駆けつけました。
今でも君原選手の首を振りながら走る姿が印象に残っています。
そんな君原選手の私の履歴書をBSテレ東(日曜日21時54分)で放映していました。
子供の頃の君原選手は何をやらせてもダメで、劣等感の塊のような内気な人だったそうです。
そんな君原選手にチャンスが訪れます。
皇太子様(現在の上皇様)のご成婚記念にマラソンをすることになりました。
八幡製鉄に就職した君原選手にも声がかかりました。
君原選手は、仕事が終わる4時から毎日黙々と走り続けます。
そして、見事3位に入賞し、注目を浴びます。
通常マラソンはトップ選手をマークしながら走るのですが、君原選手は、ひたすら自分のペースを守ります。
最初は後続に位置していても、レースが進む中に、前方を走っていた選手が次々と脱落し、いつの間にかトップ集団に躍り出るという作戦です。
そして、いつの間にか東京オリンピック日本の男子マラソン代表3人(他に円谷幸吉、寺沢徹)に抜擢されました。
東京オリンピックでは、残念ながら8位と期待を裏切りました。
次のメキシコ五輪では、見事2位に入賞し、雪辱を果たしました。
そんな君原選手と、今から30年以上前に、水雲会という異業種交流会でお会いしました。
君原選手が自分の体験談を語るという講演会でした。
そこで名刺交換しましたが、実直な人柄が伝わってきました。
「地道に努力を継続すれば、能力のない者でも、夢が叶う」ことを教えていただきました。
君原健二氏は、地元の中学校で未来のマラソン選手を育てるべく、指導をしているそうです。
次回の私の履歴書は君原選手の後編です(8月25日(日)21時54分~10時24分)。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
三井物産に入社した昭和47年秋に、三井物産府中総合グランドで10キロマラソンがありました。その時、私は参加しました。
総合グランドを出発し、グランドの周りを走り、最後は総合グランドに戻ってくることになっていました。
私も長距離走は好きな方でしたが、私の作戦は君原選手のやり方を真似てマイペースで走ることでした。
当日も、最初は後続組でした。しかし、グランドが近くなるにつれて、先を走っている走者をごぼう抜きして、最後は7位で入賞しました。
一緒に走った選手は殆どが体育会系卒業の猛者ばかりでした。
そんな中、唯一非体育会系の私が入賞したので、注目を浴びました。
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