「マーキュリー通信」no.3756【人生で一番輝いていた頃】
今から丁度50年前の8月2日は、朝日洋上大学第1期生としてさくら丸に乗って竹芝桟橋から出航
した日です。
全国の男子大学生300名、女子大生75名、朝日新聞スタッフ25名がさくら丸に乗船しました。
米国まで往復37日間の船旅でした。
途中ハワイに寄り、米国はロサンゼルス、サンフランシスコを訪ねました。
船上では、米国に関する政治経済社会、歴史を学びました。
クラブ活動もあり、私は剣道部と英語部に所属しました。
朝日洋上大学は、朝日新聞が新聞配達員確保のために、1年間朝夕新聞配達し、その給料を貯め
、不足分を朝日新聞が補填しました。
新聞配達の為に、朝は4時起き起床、新聞にチラシを入れて、300部を2時間くらいかけて配達し
ました。
夕刊は4時頃新聞店に行き、1時間程度で配達しました。その後、翌日の増刷版にチラシを入れ
てから帰りました。
その年の4月には大雪が2回も降った異常気象の年でした。台風にも遭遇しました。
早朝、暗い中から犬に吠えられ、噛みつかれそうになったこともありました。
工事中の穴に落ちたこともありました。
朝夕の新聞配達は確かに大変でした。しかし、早起きは健康によく、その頃が人生で一番健康
な頃でした。
そんな大変な思いをしてさくら丸という貨客船に乗って、米国を訪ねました。
私のベッドは、船底を改装し、鉄パイプで造ったお粗末な簡易ベッドでした。
しかし、当時米国に行くことは夢の時代でした。
当時の米国は、日本と比べ、全てにおいて優っていました。
一方、船の中で多くの同世代の仲間と親しくなりました。まさしく同じ釜の飯を食った仲でし
た。
私にとって、朝日洋上大学は青春時代の一番輝いていた頃でした。
そんな経験をしたので私は朝日新聞のファンでした。
しかし、その後、従軍慰安婦問題と南京大虐殺事件の虚偽の報道をし、韓国と中国にこの報道
を逆手に捉えられ、日本及び日本国民に多大な精神的苦痛を与えました。
にもかかわらず朝日新聞には未だに反省が見られません。朝日新聞には裏切られた気持ちです
。
残念ながら、青春時代の旅の1ページと朝日新聞とを切り離して考えることにしています。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
7月18日の出版記念パーティに続き、昨夜は私の新刊本「生涯現役社会が日本を救う!」の出版
記念講演会に50名の方にご参加頂き感謝申し上げます。
内、27名の方は懇親会までおつきあい頂き大いに盛り上がりました。
皆様とのご縁を大切にしながら、生涯現役人生を楽しく、力強く生きていきたいと思います。
今後もよろしくお願い申し上げます。
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