「マーキュリー通信」no.4120【未来ビジョン・目指せ!新しい国造りを-93「本日は日本に初めて鉄道が開通した日」】
明治治4年(1872年)10月14日、日本に初めて新橋~横浜(桜木町)間に鉄道が開通した日です。
推進者は、明治維新の元勲大隈重信と初代総理大臣伊藤博文でした。
伊藤博文は、渡欧して日本と欧州の国力の差を実感しました。
そこで、新日本の発展には鉄道建設が不可欠との結論に達し、大隈重信と鉄道建設を推進します。
アジアでは既に鉄道建設が実施されていました。しかし、欧米の植民地支配の一環として鉄道建設とその後の経営権を握っていることが分かりました。
そこで、二人は鉄道会社の経営権を日本が持つことに同意する英国を選びました。
しかし、鉄道建設に明治維新の元勲、西郷隆盛と大久保利通が反対します。
日本には鉄道建設する資金的余裕がない。最優先にやるべきことは欧米に侵略されない国防の強化でした。
大隈と伊藤は当時の最高権力者公家の岩倉具視の了解を取り付け、鉄道建設にこぎ着けます。
しかし、西郷は薩摩藩邸を通過する建設地域の工事に反対します。
そこで、伊藤博文と共に渡英した長州5(ファイブ)の一人井上勝が海岸沿いに線路を敷けば良いと提案します。
幕末にペリー来航時、江戸幕府はお台場を埋め立て、砲台場を建設しました。
その時の土木技術が役立ちました。
こうして、新橋~品川の2.7kmは海岸沿いを埋め立て、鉄道建設が完成しました。
大隈重信は、国威発揚の場として、天皇陛下を第1号車に乗車していただきました。
更には公家、明治の元勲、政府高官、元藩主、更には外国からも多数招待しました。当日の列車数は7車両でしたが、政府の用意周到の下、座席指定されて、各自そこに着席しました。当時の乗客名簿は国宝として大切に保存されています。
これが近代国家日本の旅立ちの日となりました。
新橋~横浜間は1時間かかりますが、遅延なく無事到着しました。この頃から日本の列車運行技術の優秀さが光ります。
もし、安易に他のアジアの国同様に鉄道会社の経営権を英国に任せていれば、日本は英国の植民地になっていたかもしれません。
その意味で、当時の明治のトップリーダーの先見力と知恵に改めて敬服する次第です。
一方、当日琉球王国公子も招待されました。
翌日、同公子は明治天皇に謁見しました。そこで天皇より皇族の称号を与えられました。
当時の琉球は、中国と日本に朝貢する独立王国でした。同公子はこの突然の待遇に戸惑いました。
しかし、明治政府はそれにお構いなく明治11年(1879年)に廃藩置県に伴い琉球を沖縄県として迎え入れ、正式に日本国の一員となりました。
平和裏に琉球を日本に編入してしまう当時の明治政府のしたたかさに兜を脱ぎます。
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10月4日に本年3冊目の「あなたのコミュニケーション力10倍アップの極意」を出版しました。早速読者から下記感想文が届きました。
人間力を上げる!
心の湖面を平らかに〜!
若い頃は苦手な人にはイラッとして相手のせいにしてました。
プライムに取り組みながら自分が訓練されているのがよくわかります。
原因は全て自分。
だから、自分の心を主管しながら良心の声に従うようにしています。
考え方、捉え方が似ていて嬉しいです。
私はまだまだ修行の身です。
いろいろ菅谷さんから学びたいと思います。
宜しくお願いします。(大阪60代女性)
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下記の通りズームによる出版記念講演会を開催します。参加費は無料です。
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