「マーキュリー通信」no.4222【人生に勝利する方程式-238「決断する能力は成功する資質の一つ」】
誰でも自分の人生を振り返るとそれは選択の連続と言えます。
私にとって大きな決断は、1983年、カナダ三井物産駐在の時でした。
当時三井物産の石炭部代表としてカナダに駐在していました。
その時、高校2年生の時に抱いた夢、「世界を股にかけるビジネスマンになろう!」は実現しました。
しかし、現実は製鉄会社のおもり的な仕事が多く、日本から来る製鉄会社社員のアテンドで忙殺されている日々でした。
週末はカナディアンロッキー観光とゴルフ、平日は炭鉱視察、夜は麻雀の接待が重要な仕事でした。
そんな自分の仕事に疑問を感じ、三井物産を辞めようかと悩みました。
その頃、中曽根内閣が、電電公社の民営化を発表し、通信の自由化が決定しました。これに呼応して、三井物産でも新たに情報産業部門を創ることになりました。
そこで、私は当時のカナダ三井物産社長に、情報産業部門への異動を直訴しました。もし、ノーなら三井物産を辞める覚悟でいました。
しかし、私の直訴が受け入れられ、情報産業部門への異動が決まりました。
もし、あの時私が直訴していなければ、私は鉄鋼部門にずっといたかもしれません。
そして、三井物産の看板で商売をして、定年を迎えたことと思います。
今から40年前の大きな決断でしたが、この決断が私の人生を大きく変えたことになります。
もし、決断していなかったら、今頃後悔の念に駆られていたことと思います。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
冬場は日本からの顧客が来ない時期なので、夜は水彩画教室に通ったり、インドアテニスに興じたり、天気の良い週末にはカナディアンロッキーでスキーをして、エンジョイしていました。
しかし、真冬の2月に新日鉄のI取締役(後に社長に昇格)が突然、炭鉱視察を希望して、現地はアテンドで大わらわとなりました。
それも今は懐かしい語り草となっています。
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