「マーキュリー通信」no.4342【奇人変人が世の中を変えていく-415「江戸末期日本は文化大国だった」】
明治維新直前の1867年、パリで開かれた万国博覧会に渋沢栄一は徳川使節団の一員として参加しました。
そこで渋沢栄一が見たものは、近代的資本主義と軍事力でした。
当時の欧米は世界に植民地を建設している真っ最中でしたから、パリ万博にも各国の大砲を始めとした武器の展示で軍事力を競っていました。
これに対し、日本幕府も出展しました。
日本幕府は、250cmを超える高さの大屏風で諸外国の注目を浴びました。その他芸術品としての鎧兜や陶磁器等を出展し、その文化水準の高さをアピールしました。
幕府の努力が認められ、時のナポレオン3世から文化部門でグランプリを受賞しました。
※薩摩藩も幕府に内緒で出展し、海外に独立国家のアピールをして、認められました。この動きがその後の討幕運動へと展開していきます。
パリ万博の途中で大政奉還が起こり、明治維新へと発展していきます。
そして明治政府が掲げた2大国策、富国強兵と殖産興業が有名です。
私たちの印象として、当時の明治政府は「欧米に追いつき追い越せ」の号令の下に、富国強兵と殖産興業に突き進んでいったという印象が強いせいか、経済力を中心とした国力が欧米列強と比べ圧倒的に劣っていたと錯覚しがちです。
しかし、当時の日本は世界有数の国力を誇っていました。江戸の人口は100万人であり、世界有数の大都市でした。
江戸幕府260年では平和を享受してきたので、軍事力が欧米と比べ圧倒的に劣っていました。
従って、日清日露の両戦争で勝利したのも、世界有数の経済力がバックにあったからです。
それを支えたのが、渋沢栄一が欧米の資本主義をヒントに合本主義の導入と近代式経営を取り入れ、当時の日本に必要な産業を次から次へと興していったからです。
ここは近現代史の重要な点として抑えておく必要があります。
現在の日本は76年前の敗戦の影響で軍事力を持つことにアレルギー反応があります。
しかし隣国中国が尖閣諸島に毎日侵略を繰り返し、尖閣諸島を乗っ取られるのは時間の問題となってきました。
今は、幕末維新の頃と尊皇攘夷思想とは逆で、軽皇媚中思想に陥っている政財官のトップリーダーが多いことが最大の国家の危機といえます。
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