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2021年6月28日 (月)

「マーキュリー通信」no.4371【人生に勝利する方程式-248「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-1『知』の大切さ」】


昨日の朝6読書会では、私が渋沢栄一の有名な「論語と算盤」の解説をさせて頂きました。
改めて渋沢栄一を学ぶことで大きな気づきを頂きましたので、読者とシェアさせて頂けたらと思います。

渋沢栄一は、正義感が強く,直情径行の性格のようです。

16歳の時、代官から父の名代として呼ばれました。
代官から、「この度、姫君が輿入れすることになった。ついては500両を差し出すように」との指示命令でした。
同席した他の農家の連中は、ただひれ伏して、その指示命令に従うだけでした。

しかし、渋沢栄一は、「私は父の代理で来ました。この場では返事ができかねます。帰宅してから父と相談してから、追って回答申し上げます」と答えました。
これに代官は激怒。「16歳なら分別のつく年頃だろう。即刻、返事をせい!」と威圧的に命令しました。
渋沢栄一はその命令に従わず、帰宅しました。
その時、渋沢栄一は代官の横暴さに腹を立て、こんな腐った幕府は倒さなければならないと固く誓いました。

その7年後23歳の時、倒幕の想いを実現するため、仲間と尊皇攘夷を掲げ、高崎城乗っ取り事件を企てました。
しかし、従兄弟の長七郎の猛反対に遭い、頓挫します。もし、従兄弟の反対がなかったら、渋沢栄一は逮捕され、死刑にあっていたかも知れません。

論語では、「知」の大切さを説いています。
しかし、若い頃の渋沢栄一には「知」が足りなかったようです。
その後、一橋慶喜の側近平岡円四郎に召し抱えられ、幕臣となります。
渋沢栄一の恩人平岡円四郎は先進的な思想の持ち主で、幕府の改革に積極的でした。
しかし、この思想に反発した水戸藩士に暗殺されてしまいます。こともあろうに慶喜の出身の藩です。

ここでも「知」が不足しています。
この2つの事件で、渋沢栄一は知の大切さを身をもって実感したはずです。

私も渋沢栄一に非常に性格が似ており、正義感が強い性格です。

大学生の頃、日米安全保障条約に反対していました。単純に、安保条約により日本は戦争に巻き込まれてしまうと思い込んでいました。今を思えばマスコミの報道に反戦思想をすり込まれていただけのことでした。

社会人になってからこの過ちに気づき、今では若気の至りと大いに反省しています。


★朝6読書会に参加をご希望の方は、私宛その旨ご連絡いただけますか。
ご招待いたします。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

NHK大河ドラマの影響もあり、多くのTV局でも渋沢栄一を採り上げ、様々な切り口で渋沢栄一を学ぶことができます。

渋沢という名前は、地名から来ているそうです。沢は小川、渋は渋滞の渋で滞っている意味です。小川のよどんでいる部分があるので、そこには葦や菅のような植物が繁茂していることがイメージできます。

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