「マーキュリー通信」no.4348【シニアとシングルマザー、ファーザー用シェアハウス-2「シングルマザー、シングルファーザー用のシェアハウスにした理由」】
ユートピア館は、当初シニア向けのシェアハウスでした。
しかし、その後シングルマザーと多数お会いして、そのニーズを感じたのでシニアとシングルマザー、ファーザーが共生するシェアハウスとしました。
なお、これまでシェアハウスを更に進化させたコミュニティ・ハウスと呼んでいましたが、コミュニティ・ハウスの知名度がないので、セールスプロモーション上はシェアハウスの方がわかりやすいので、今後はシェアハウスと言う言葉に代えることにしました。
さて、現在のシェアハウスの多くは3~4畳半程度の狭い部屋に共同ダイニングがついている安宿といったイメージです。家賃も3~4万円程度が多いです。
しかし、私の目指すシェアハウスは、もっと共感を呼び、居住者同士がもっともっと幸福になって欲しいという想いがあります。その想いを形にするために現在コンセプトメーキング中です。このメルマガで追ってご紹介したいと思います。
その原点に5歳で病死した母親の存在があります。
母親は死の直前に、父に「信雄を幼稚園に行かせて欲しい」と嘆願しました。
しかし、父はその遺言を無視して、翌年家出をしてしまい,私は幼稚園に行けませんでした。
ただ、私はその遺言から母親の息子に対する愛情を感じています。
テレビドラマ等で母親が子供に愛情を注いでいるシーンを観ると自然と涙腺が緩んでしまいます。今、このメルマガを書いているだけで、涙が止めどなく出てきてしまいました。
最期、三途の川を渡るとき、母親と再会するのが私の夢です。三途の川を渡りきったときに、向こう岸にいる母が、「信雄!よく頑張ったね!」と言って、私のことを思い切り抱きしめてくれるシーンをイメージしています。母親に恥じない人生を生きようといつも思っています。それが自分の生きる原動力になっています。
だから世の中でがんばっている母親には、「より幸福になって欲しい」という想いが強くあります。
その為に、ユートピア館にはソフト面でいろいろな仕掛けがあります。
※母親を慕って、昭和45年2月15日、母の死後15年の命日に、私が20歳の時に「おもかげ」という歌を作詞作曲しました。
1.赤く燃える夕焼けの海に
白く小さな雲が一つ
その中にきっと安らかに眠る
遠い昔の母の影
優しいあなたの面影ばかり
浮かぶ空の果て
今はもういない 遠い国の人(以下、2番、3番繰り返し)
2.赤とんぼの飛んだ夕暮れは
遊び疲れて帰る頃
顔も手も足も 汚れたままで
帰る家には 母の声
3.サザンカの花の咲く頃は
冷たい霜の 降りる頃
花びら集めて 手のひらに乗せた
薄桃色の母の花
一方、父親は10年後に家出から帰ってきました。
父親は、幼い2人の子供を捨てたことを悔いて、自殺も考えたそうですが、死にきれなかったそうです。
そんな父親を今では許しています。
だからユートピア館には、後でシングルファーザーも入れて、世のお父さん達も応援していきたいと思っています。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
幼少時の頃の父親との思い出は、ほとんどありません。
仕事をしないで赤と青の2色鉛筆を右手に持ち競輪新聞に夢中になり、母を思い切り困らせただめな父親のイメージしかありません。
唯一、父の両足裏に私の腹を乗せて、飛行機をやってくれたことだけが思い出にあります。
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