« 「マーキュリー通信」no.4372【人生に勝利する方程式-249「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-2『仁』を生涯貫いた」】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.4374【人生に勝利する方程式-251「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-4『モノまねの天才』」】 »

2021年6月30日 (水)

「マーキュリー通信」no.4373【人生に勝利する方程式-250「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-3『勇』の人」】


渋沢栄一は、『勇』の人とも言えます。
明治維新の元勲当時の最高実力者大久保利通から、富国強兵策強化の為、軍事予算を強化するよう指示が来ました。

しかし、渋沢栄一は、当時の日本の実力から見たら軍事費の膨張は、もう1つの国策、殖産興業の視点から好ましくないと反対します。

大久保利通は武士上がりなので、経済のことをよく知りません。

結局意見対立のまま、渋沢栄一は1873年(明治6年)、33歳の時に当時の上司だった井上馨と共に、大蔵省の役人を辞任します。
大蔵省には、当時の実力者大隈重信の説得でその4年前に仕官したばかりでした。

並の人間なら、大隈重信の顔も気にするし、大久保利通と正々堂々と意見を戦わすことなどできません。

挙げ句の果てに、辞任してしまうわけですから、その勇気は賞賛すべきです。

大蔵省を退官してからが渋沢栄一の真骨頂、快進撃が始まります。

退官後の翌々年明治8年に日本初の銀行、第一国立銀行を創設し、その頭取となります。国立と書いてありますが、純粋な民間企業です。
ここでも大蔵省勤務が役に立っています。

この銀行から、様々な企業に出資し、生涯500近い会社を設立していきました。まさに、近代日本の資本主義の幕開けと言えます。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

三井物産在籍中の最後、東京電力と合弁で創った東京通信ネットワーク株式会社に3年3ヶ月出向しました。

経営支配権を東電が握っていたので、社風はまさに東電そのものでした。

㈱もしもしホットラインの自由闊達な社風とは正反対の会社でした。
出向時に、担当常務から呼ばれ、日光東照宮の3匹の猿のたとえ「見ざる、聞かざる、言わざる」を引き合いに出して、「見るのも、聞くのも自由。しかし、余計なことを言ったら、直ぐに三井物産に戻すから」とクギを刺されました。

渋沢栄一も、大蔵省勤務の4年間、お役所体質を実感したことと思います。

しかし、私にとってこの経験は決して無駄と思っていません。

よくお役所体質と批判されることがありますが、私自身身をもって経験したので、貴重な経験となりました。

この時の経験で、お役所からの出向を受けたら、会社の発展に大きな障害となることを理解しました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

| |

« 「マーキュリー通信」no.4372【人生に勝利する方程式-249「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-2『仁』を生涯貫いた」】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.4374【人生に勝利する方程式-251「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-4『モノまねの天才』」】 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「マーキュリー通信」no.4372【人生に勝利する方程式-249「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-2『仁』を生涯貫いた」】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.4374【人生に勝利する方程式-251「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-4『モノまねの天才』」】 »