「マーキュリー通信」no.4346【クリエイティブに生きる-72「渋沢栄一のイノベーション力に学ぶ」】
江戸幕府大政奉還の年の1867年に渋沢栄一は政府のパリ万博に徳川使節団の随行員として参加しました。
その際、使節団20名はフランスを始めとした欧州の諸制度を見聞してきたわけですが、渋沢栄一だけが欧州の資本主義に着目しました。
そして、単なる物まねではなく、株主の利益+公益に資する事を目的とした合本主義としました。
更には、幕府出身の役人ではこの制度を推進するだけの能力がないと見て、広く商人を中心に募っていきました。
しかし、当時の商人は儲けることしか考えていませんでした。
そこで論語という倫理を入れて、公益に資する事を2つ目の柱としました。
その結果、600近い会社を創っていきました。これが明治の殖産興業の国家方針と合致し、明治新政府に多大なる貢献をしました。
パリ万博に参加した渋沢栄一は、その場で断髪し、羽織袴から洋装に衣服を変えました。
衣服を洋服にすることで発想の転換を後押ししたものと思われます。
古来日本人は物まねが上図と言われています。その原点に渋沢栄一を見ます。
かくいう商社マン出身の私もオリジナルを創ることは苦手です。
従って、渋沢栄一式のイノベーション方法を学べば、いろいろなアイデアが浮かんで来ます。
私のイノベーションの1つに三井物産の人事制度改革があります。
今では、関係会社に出向することが人事のローテンションに組み込まれています。
しかし、34年前に私が㈱もしもしホットラインを創り、そこに出向すると言ったら、出世に影響すると言われました。
当時は子会社出向=左遷の時代でした。
それなら㈱もしもしホットラインを成功させ、これまでの慣習を打ち破ろうと決意しました。
㈱もしもしホットラインは大成功し、今では東証一部上場企業となり、年商1276億円(2021年3月期)の大企業に成長しました。
今では本社の社員が、特に社長の座は出世の登竜門として㈱もしもしホットラインに出向したいと殺到しています。
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