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2021年7月 5日 (月)

「マーキュリー通信」no.4377【人生に勝利する方程式-254「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-7『論語の基本は親孝行』」】


論語の教えは親孝行、それに長幼の序を重んじるでした。
徳川時代、家康は家督相続を長子相続という不文律を作りました。
そして、親孝行の大切さを説きました。親の言うことに従順な子が良い子とされました。平和な時代はこれで良かったと思います。

しかし、幕末維新の大激変期では欧米の植民地支配の荒波に飲まれてしまいます。

渋沢栄一は、長男でしたが家督を継がず、徳川慶喜の家来となりました。
農民の長男が武士の家来になることなど考えられませんでした。
しかし、幕末維新の大激変期、身分にとらわれず有望な人材を探していました。
そして、それを果敢に実行する慶喜の器量もありました。

もし、渋沢栄一が論語の教えを忠実に守っていたら、農家の長男として家督を継ぎました。当然、渋沢栄一による近代資本主義は誕生しませんでした。
渋沢栄一は、500近い会社を創りましたが、身分にとらわれず、広く有望な人材を募集しました。
これも論語の教えの我田引水の典型でした。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

34年前の1987年6月23日に㈱もしもしホットラインを創りました。当然、出向するつもりでいました。
当時の三井物産では、子会社に出向することは左遷と思われていた時代でした。
周りからは「これで菅谷の出世は終わった」と揶揄されていました。
しかし、私は「それならもしもしを成功させ、俺が三井物産の人事制度を変えてやる」と意気込んでいました。
もしもしは通信の自由化の波に乗り、業績は急拡大し、東証一部上場企業となりました。

現在の三井物産の人事制度は出向が当たり前、人事制度の中に出向が組み込まれる時代となりました。

子会社の役員を経験することで、本人の実力アップに大きく貢献することが実証されたわけです。

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