「マーキュリー通信」no.4395【東京オリンピック開会!】
昨夜、東京オリンピックの開会式を視聴しました。
57年前の東京オリンピックと比べ、現代のハイテク技術を生かされた東京オリンピックと感じました。
昼間はブルーインパルスによる五輪映像をエンジョイしました。
夜は、新国立競技場の夜景がすてきでした。その上に、ドローンの球体が目を惹きつけます。
そして、一番の感動は、最後の聖火台点灯の際に、長島さん、王さんそして松井秀喜の3名が登場したときでした。
松井秀喜が恩師長島さんの体を支えながら聖火を長島さんに手渡しました。
そして、最後長島さんは微笑みながら聖火をバトンタッチしたシーンは感激でした。
前回の東京オリンピックの時は、長島さんは28歳、全盛時代でした。
その時のイメージとダブってじーんときました。
前回東京オリンピックの時、私は調布中学校の3年生でした。
調布中学は、東京オリンピックの直前に開通した新甲州街道の近くにありました。
そこがマラソンの折り返し地点でした。
そこで全校挙げて日の丸の旗を振りながら選手を応援しました。
エチオピアのアベベ選手が裸足で走る姿が印象的でした。同選手は2大会連続金メダルの快挙を達成しました。
そして、日本人選手で一番印象に残ったのは、首を左右に振りながら懸命に走る君原健二選手でした。
その時は、同僚の円谷選手が銅メダルに輝きました。
テレビ中継では、女子バレーボールが一番印象に残っていました。
鬼の大松監督の厳しい指導の下、見事金メダルを獲得しました。
その時の視聴率は今では考えられない85%という驚異的な数字をたたき出しました。
大半の選手は父親を戦争で亡くしたため、大松監督は厳しい父親のようであり、指導者でしたが、全選手から慕われ、尊敬されていたそうです。
その意味で東京オリンピックは、私の青春時代の1ページを飾る懐かしい思い出として今でも鮮明に焼き付いています。
| 固定リンク | 0
« 「マーキュリー通信」no.4394【地球温暖化不都合な真実とは】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.4397【クリエイティブに生きる-76「発想の転換、マンションをトレーニングジムと認識する」】 »
コメント