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2021年7月 3日 (土)

「マーキュリー通信」no.4376【人生に勝利する方程式-253「渋沢栄一の論語と算盤に学ぶ-6『論語の考え方は男尊女卑』」】


孔子の教えは2500年前のものです。
国も違えば文化も違うのでそれをそっくり日本に当てはめようとしても無理があります。
論語の考え方は男尊女卑です。
渋沢栄一の明治時代も男尊女卑の時代で、女性には参政権も与えられていませんでした。
そんな時代背景の中で、渋沢栄一は女性の権利を主張しました。これも渋沢栄一流の我田引水的解釈です。

渋沢栄一の主張は、当時の女性にも大きな影響を与えました。
渋沢栄一は、創立者 成瀬仁蔵を支えて日本で初の組織的な女子高等教育機関 日本女子大学校設立に携わった一人であり、さらに最晩年に同大学の第三代校長を務めました。

米国に留学した津田梅子はその後、津田塾大学を創立しました。津田塾大学は、小平市にあります。
渋沢栄一が創立した私の母校一橋大学の教養学部も、私の学生の頃には小平にありました。

小平分校と津田塾大学とは歩いて15分でした。その小径を"Lovers' lane(恋人達の小径”と呼んでいました。

多くの一橋大生は、津田塾大生との出会いを期待し、中にはそのまま結ばれた学生も多数いました。

新1万円札に渋沢栄一が選ばれましたが、新5千円札は津田梅子です。これも何かの縁なのでしょうか?

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

34年前の1987年6月23日に㈱もしもしホットラインを設立しましたが、その前年に雇用機会均等法が施行されました。

当時、三井物産では、女性は3年ほど補助職として勤め、その間結婚相手を探し、寿退職するのが一般的でした。
毎年5月末になると、寿退職で嬉しそうな顔で退職の挨拶周りをしていたのが印象的でした。当時の女性は新しい姓に変わることが「幸福感」の象徴でした。私の妻もそうでした。

そんな社会情勢の中で、私は㈱もしもしホットラインの就業規則と賃金体系を作りました。
同社の7割は女性社員です。だから女性の活用が最重要との認識でした。
そこで男女同一待遇同一賃金を明確にうたいました。
当然、女性役員も登用しました。また、役員は三井物産からの出向組だけでなく、プロパー社員も積極的に登用しました。

そのコンセプトが現在の社名りらいあコミュニケーションズ㈱に受け継がれています。
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