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2021年10月 2日 (土)

「マーキュリー通信」no.4467【江戸の食卓に学ぶ】


最近江戸文化を見直す動きが出ています。
当時の江戸は人口100万人を超える世界最大の文化都市でした。
その頃の欧州はキリスト教を隠れ蓑にアジアアフリカ中南米を侵略し、自国の繁栄の為に植民地化していた野蛮国の時代でした。

さて、朝6読書会の著者インタビューとして紹介した江戸料理研究家車浮代さんの名著「江戸の食卓に学ぶ」(ワニブックス)を読みました。
江戸の町民文化も含め、江戸時代の文化の高さがうかがわれます。その一部をご紹介します。

江戸は発展都市だったため、地方から男子が流入し、工事現場を始め、各所で働いていました。

当時は1日2食の時代でした。しかし、工事現場で働く若者には2食では足りません。そこで1日3食の時代となりました。

一方、庶民はあんどんの燃料に魚油を使っていました。しかし、魚油は臭いが臭く、煙も出たため、あまり普及しませんでした。
しかし、菜種油の大量生産が水車を使って可能となったため、油の値段が大きく下がりました。その結果、庶民もあんどんを使うようになりました。
夜の時間を有効活用できるようになった結果、2食では腹が空き、3食になっていったそうです。
また、夜の明かりが普及したおかげで、外食も発達したそうです。

当時の人気メニューは、寿司、天ぷら、ウナギでした。
魚で一番人気は鯛でした。
一方、鮪(まぐろ)は人気がありませんでした。特に鮪のとろは全く人気がなく、肥料として使われていたくらいでした。
当時冷凍冷蔵技術が発達していなくて、相模湾から輸送途上で傷んだため、食卓に上がる頃には、ひどい味になっていたそうです。
それでも鮪のとろが人気になったのは、昭和二桁の時代になってからだそうです。この頃、築地のアルバイト学生が安い鮪のとろを食べて評判を呼び、それから口コミで普及していったそうです。

さて、江戸の男女比は4対1と圧倒的に女性が不足していました。
当時はフリーセックスの時代で、女性は意中の男性を射止めるために、夜這いをし、品定めをしてから結婚をしていたそうです。

また、三行半(みくだりはん)という言葉がありますが、妻が夫を気に入らなくなると、三行半を書いた離縁状を渡せば、離婚できたそうです。当時、文字を書けなかった女性も多かったので、3行半線を引っ張って、それを夫に渡せばOKだったので、三行半の由来となったそうです。

男尊女卑と思っていましたが、江戸文化はかかあ天下だったのですね。

一方、水戸藩主斉昭は大の牛肉好きだったそうです。特に近江牛は美味で斉昭の大好物だったそうです。斉昭は、時の大老井伊直弼に牛肉を所望したそうですが、無視されたそうです。
これを観ていた水戸藩士が怒り、桜田門外暗殺の一因ともいわれています。水戸藩では、この事件を「すき焼き討ち入り」と呼んでいるそうです。

その他、本書ではまだまだ面白いエピソードが多数あります。読んでからのお楽しみとします。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

このメルマガを書いていて、子供の頃、しりとりで「野蛮国→黒ばたき」と言っていたのを思い出しました。

グーグルで調べたら下記しりとりが出てきました。なるほど、野蛮国とはロシアのことを指していたのですね。

ロシヤ、野蛮国、クロバトキン、キンダルマ、負けた、たかしゃっぽ、ポヤリ、陸軍の、乃木さんが、凱旋す、すずめ、めじろ。そしてまたロシヤ、野蛮国…とつながるのです。ひいばあちゃんからお母さんが教えてもらい、私も最近知りました。ほとんど意味が分からないです。調べていたらここにきました。謎が少し解けました?


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