ヒトラーはユダヤ人600万人を大量虐殺したと史上最悪の極悪人と位置づけられいます。
しかし、当時のドイツワイマール共和国では、人口1割のユダヤ人が権勢を振るい、ドイツ人はユダヤ人は憎悪の目で見ていました。
そういう背景があったので、ヒトラーは国民に選ばれて国のトップに立った訳です。その延長線上に、ユダヤ人の大量虐殺に繋がりました。
一方、前回の「マーキュリー通信」では、歴史学者皇學館大学文学部教授松浦光修(まつうら みつのぶ)氏の動画「大東亜400年戦争の歴史」を視聴し、当時の2大覇権国イスパニアとポルトガルは、アフリカ、アジア、南北大陸を植民地化し、1500万人の現地人を虐殺しました。その虐殺方法はヒトラーが恐れをなすほどの極悪非道のものでした。
我々は欧米人のことをキリスト教を信仰した文明の進んだ人種と思っている人も多いと思います。
ところが第2次世界大戦前までの欧州人は、白人以外は人間として認めず、動物を屠殺する感覚だったと認識を新たにすべきと思います。
ただ、ユダヤ人は、ベニスの商人で採り上げられたように、お金を取り扱う卑しい民族と認識されていました。その延長線上にヒトラーのユダヤ人の大量虐殺があったと思います。
さて、そのような残忍な性格の欧州人だったので、ペリーの来航により門戸を開放せざるを得ない状況でした。
欧米諸国は幕府の弱腰につけ込んで、不平等条約を締結しました。
欧米人が日本で犯罪を犯しても、罰することができません。殺人事件も起きました。
当時の日本人は、欧米人を野蛮人と思っていましたので、尊皇攘夷運動が起こったのごく自然のことでした。攘夷の「夷」は野蛮人の意味です。
その後、欧米の情報を得た幕府は武力では野蛮国に叶わないと認識するようになり、開国をせざるを得ないと認識します。ここに野蛮国に対抗できる軍事力をもった尊皇攘夷に変わります。
しかし、徳川幕府ではもはや野蛮国に対抗できないと認識し、それが明治維新へと繋がっていきます。
明治維新の2大国是である「富国強兵」「殖産興業」となります。
ここで最重要点は、日本は万世一系天皇陛下の下、2700年間平和と人種平等を希求してきた民族であるという点です。
それが皇室制度に現れています。
皇室は男系継承で2700年間続いてきましたが、途中不徳の天皇の治世となると、そこでストップをかけ、別の男系継承にバトンタッチすることで男系継承を維持してきました。
一方、中国では徳治主義を基にした易姓革命でした。
しかし、徳治というのは極めて主観的で、中国では古来新しい王朝が起こると前王朝一族を皆殺しにする歴史でした。
ここに日本の皇室制度の知恵があります。
徳川幕府誕生まで日本も戦乱が続いてきましたが、時の為政者は天皇という権威を活用して、日本を統治してきました。
富国強兵政策が功を奏し、日清日露戦争で勝利しました。
日本にとってロシアに勝利し、満州国を抑えたことで軍事的脅威がなくなりました。
この勝利は、欧米の植民地となっていたアジア諸国に勇気と希望を与えました。
第1次大戦終了後の1919年に日本は国際連盟に人種平等案を提案しましたが、白人以外は人間と認めない欧米に却下されました。
一方、欧米諸国は日本に脅威を抱き、人種平等を掲げる日本に敵意を抱き始めました。そして、いずれ日本に戦争を仕掛け、たたきつぶすと考え始めました。その一環として日英同盟が破棄されます。
そして、フランクリン・ルーズベルト大統領が、日本に戦争を仕向けるように石油の禁輸を始め、様々な手段を講じ、日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃をさせることに成功しました。このとき、ルーズベルトとチャーチルは作戦通りいったと手を叩いて喜びました。
大東亜戦争で日本は敗れ、米議会では天皇制は廃止すべきとの声が大でした。しかし、昭和天皇の不惜身命のお姿「朕はどうなっても構わぬ。その代わり、日本国民の安寧を希望する」にマッカーサー元帥は感銘し、天皇制存続となります。
当時共産主義の恐ろしさがまだわからない時代でした。悪魔スターリンとチャーチルやルーズベルトが握手する時代でした。
もし、天皇制が廃止されたら、日本は朝鮮半島のように東西に分割されるリスクがあったわけです。
共産主義となった東北日本は北朝鮮のような地獄の世界となっていたわけです。
その意味で、男系による天皇制の重要性を再認識する必要があります。
なお、天皇制という用語は、天皇制廃止を掲げる日本共産党の用語です。正しくは皇室という用語を使うべきといえます。
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