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2022年11月17日 (木)

「マーキュリー通信」no.4818【人生に勝利する方程式-291「人生は選択、決断、実行の連続」】


昨夜は私が住むマンションザ・ガーデンズ東京王子1階のパーティラウンジで交流会を実施しました。

冒頭のスピーチで私は、「時流を読む」というテーマで15分ほど語りました。

私が5歳の時に母は病死し、その翌年父は家出しました。

10年後、高校2年生の夏に父は家出から帰ってきました。その時の父は、着の身着のまま、ほとんど無一文でした。
当時、私は実家の家業(調布で自転車店)を継ぐことになっていました。

しかし、私は敢えて父との貧乏暮らしを選択しました。
その時私は、「父のようには絶対になりたくない」と強く思いました。

そこで、いろいろと調べたら日本は資源小国、貿易立国が国是という事が分かり、「世界を股にかけるビジネスマンになる」と決意しました。

その為に一橋大学商学部を受けることを決めました。
それまで勉強などしたことはなかったのですが、1年半受験勉強に集中しました。その結果、現役で一橋大学商学部に合格しました。
これが私の人生の第一の選択でした。

第2の選択は、三井物産に就職後、カナダ駐在員時代でした。
カナディアンロッキーにある良質の炭鉱に200億円投資し、日本側に200万トン輸出する担当者として赴任しました。その時「世界を股にかけるビジネスマンになる!」という私の夢は叶いました。

しかし、当時「鉄は国家なり」という時代でしたが、私は日本の鉄鋼業界はいずれ韓国、中国に抜かれると感じていました。

丁度その時は中曽根内閣の時代、通信の自由化が決定しました。
そこで三井物産でも新たに情報産業部門を新設することが決まりました。
私は周りの反対を押し切って、新設の情報産業部門への異動を当時のカナダ三井物産社長に直訴しました。
もしノーと言われたら、三井物産を退社する覚悟でいましたが、幸いOKの返事を頂きました。

帰国後、情報産業部門に異動し、その時に創ったのがテレマーケティングの新会社もしもしホットラインでした。
同社は通信の自由化の波に乗り業績は右肩上がりで急成長し、東証一部上場企業にもなり、年商1千億円を超えました。

もし、周りを気にして情報産業部門に異動していなければ、私は定年まで三井物産に勤務していたことと思います。

もしもしホットラインを創業して10年後、私は25年勤務した三井物産を退職する決断をします。これが第3の選択でした。

絶えず人生でミッションを掲げて生き抜いてきた自分には当時脱力感を覚えていました。

三井物産退職後既に25年が経ちました。
現在は、日本初、シニアとシングルマザー、シングルファ-ザー用シェアハウス ユートピア館の事業推進中です。

この事業は生涯現役社会の仕組みを創る中核事業です。超高齢者社会の進展に伴い、現代の日本社会では様々な問題を抱えています。その問題を解決するのがユートピア館事業です。
1棟では影響力がないので、1万棟という壮大な計画を立てています。
この夢に向かって現在邁進中です。

この推進力となっているのがミッションですが、そのベースとなっているのは社会人になってから50年以上の経験です。
その意味で自分を育ててくれた三井物産には今でも大変感謝しています。
ユートピア館事業は、私の人生の集大成事業となっています。

そして、それが三井物産への恩返しでもあり、社会への恩返しと思っています。

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