「マーキュリー通信」no.4812【人生に勝利する方程式-290「3つの限界突破により、人生を切り開く」】
4分の3世紀近い人生の中で、私自身3つの限界に達したことがありました。
私は高校2年生の時に、「世界を股にかけるビジネスマンになろう!」と決意し、三井物産のカナダ駐在でその夢が実現しました。
次に、通信の自由化に合わせてテレマーケティングの新会社㈱もしもしホットラインを創り、東証一部上場企業の夢が叶いました。
しかし、夢やミッションの実現の為に生きてきた私にとってその夢を見失っていました。そして、過酷なノルマに追われる毎日に限界を感じ、25年勤務した三井物産を退職することになります。
あれから25年が経過しました。あの時の判断は間違っていなかった改めて感じています。もし、そのまま定年まで三井物産に勤務していたら、心身共にぼろぼろになり、現在の自分はなかったことと思います。
三井物産を退職する1年半前頃の95年11月、ニュースキンジャパン開業2年目にニュースキンビジネスに出会いました。
ニュースキンビジネスで成功し、シニア向けシェアハウス黄金の館1万棟構想の夢の実現に向け、ニュースキンビジネスに全力投球しました。黄金の館1万棟構想は、処女作「超失業時代を勝ち抜くための最強戦略」にもそのビジョンを書きました。
ニュースキンビジネスでは順調に収入が伸びていきましたが、ニュースキンジャパン開業5年目から売上が落ち始めました。それに伴い私の収入も頭打ちになりました。
2002年2月ユタ州ソルトレイクシティで数万人の大コンベンションが開催されました。そちらに参加して私はニュースキンビジネスから撤退する決意をしました。
理由は2つ。1つ目はニュースキンチャイナオープンの直前でした。会場には多数の中国人が来ていました。私には中国人の人脈がないので、彼らには叶わないと判断しました。
2つ目は、ビッグプラネットというe-コマースです。そのブースを訪ね、全くの期待外れでした。
その後、ニュースキンジャパンの売上は急降下し、現在3分の1程度まで下がりました。もし、あの時撤退の決断をしなければ、今頃は売上が伸びず、苦しみもがいていたことになります。
3つ目は世界最小の総合商社マーキュリー物産の事業からの撤退です。
NTTのBフレッツ営業で失敗し、銀行借り入れが3000万円近くに膨らみ、倒産の危機に陥りました。そこで15人いた社員のリストラを断行し、私一人の会社となりました。その7年後には借金は全額返済しました。
この経験が中小・ベンチャー企業経営コンサルタントとして力をつけることになりました。
その後、一般財団法人全国福利厚生共済会と出逢い、私の夢であるシニア向けシェアハウス黄金の館はシニアとシングルマザー、シングルファ-ザー用シェアハウス ユートピア館に衣替えして復活し、現在事業推進中です。
全厚済のプライムビジネスは2002年7月にスタートしました。丁度ニュースキンビジネスを撤退した頃です。これも運命の巡り合わせかも知れません。
人生には決断すべき時が来る。その時の決断が正しいかどうかは後日分かるわけです。私の場合、3つの決断は、私の力を飛躍的に伸ばし、人生を変えた決断だったと言えます。
若い頃から夢を掲げ、ミッションで生きてきた私にとり、夢やミッションがないと、力が湧いてこない性格なことを73歳の現在実感しています。
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