「マーキュリー通信」no.4219【ワンポイントアップの経営術-281「桶狭間の戦いの勝利に学ぶ信長の経営戦略」】
昨日、NHK[歴史探偵」で、信長が桶狭間の戦いの勝利を分析する番組を観ました。
一般的には一か八かの奇襲作戦と思われていますが、決してそうではなく信長の綿密な経営戦略に基づいて、勝つべくして勝ったと番組では分析していました。
1.国力の差
今川家と織田家の石高の差は、10対8程度でした。だから弱小の信長の無謀な闘いではなかったという事です。
2.戦いは信長が義元をおびき出した
通説では、義元が上洛の際に、途中邪魔な尾張の信長を叩くという認識でした。
しかし、上洛の情報を得ていた信長は大高城を義元軍にいったん攻め落とさせ、おびき出した。大高城への途中、義元は桶狭間という狭小の地を通過する。2万五千人の大軍隊が通過する際、兵站が伸びてしまう。そこを狙えば、少人数の精鋭部隊で攻め込めば、勝利できる。しかも、桶狭間の地はぬかるみの地で軍馬が通過する難所だった。
3.現地の偵察
信長は、鷹狩りを日常生活に取り入れていたが、趣味ではなく軍事訓練の1つだった。鷹狩りをすることで現場情報を熟知していた。さらに、農民等地元民と親しくなり、偵察部隊にも徴用した。
桶狭間の戦いでは、義元の居場所を突き止めることが最重要情報だった。
農民→足軽→信長という情報ルートを持っていた。
義元は格式を重んじ、公家が乗る牛車に乗っていた。だから直ぐに義元の居場所を突き止めることができた。
義元は、将軍家や天皇家と直接連絡を取れる格式の高い武門の誇りがあった。だから牛車に乗り、自分の存在を地元民や敵国の民衆にも威厳を見せつけていた。
もちろん信長など簡単に叩きつぶすことができるという自負があった。ここに義元のおごりがあった。おごれる勝者久しからずという格言の通りだった。
なお、桶狭間の戦いの最大の功労者を、信長は義元の首を差し出した部下ではなく、義元の居場所を報告した部下とした。情報がいかに重要かと認識していたわけです。
4.少数精鋭で攻撃する
桶狭間のような狭小地では、少数精鋭で戦うのが集中力を発揮する。
なお、同番組では報じなかったが、別の番組では、信長は翌朝義元を攻撃することは一切言わず明け方に突然命令を下し、自らが先頭に立って出陣したと報じていました。それは、部下の中に敵のスパイが紛れ込み、出陣の情報が義元に通報されるのを怖れたという解説がありました。
なお、雨の中を出陣したというのが定説ですが、同番組ではそのことに触れていませんでした。
天気を頼りにしていたら、出陣のタイミングが変わってしまいます。
5.近隣諸国と和睦を結ぶ
今川軍攻撃の際に、近隣諸国と和睦を結び、今川軍攻撃の際に背後から攻撃されないようにしておく。
いかがでしたか?
信長の桶狭間の戦いを観て、各社の経営戦略の策定に学ぶところが大きいと思います。
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