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2023年4月23日 (日)

「マーキュリー通信」no.4961【人生に勝利する方程式-309「WBC侍ジャパン優勝、栗山監督の人間力に学ぶ」】


昨日の朝6読書会は、栗山監督と若い頃スポーツ記者として親交があった安藤氏が、栗山監督の人となりを含めた著者インタビューでした。

栗山英樹は、子供の頃、将来はプロ野球の選手を夢見ました。
しかし、プロの世界は厳しく、紆余曲折があり、1984年に縁あって日本学芸大学からヤクルトスワローズにドラフト外で入団しました。日本学芸大からプロ野球入団は栗山英樹唯一人だそうです。
同期入団には、高卒の池山がいたそうです。将来の4番打者との素質の違いを思い知らされた。

それでも人並み以上の練習をして、遊撃手としてデビューします。
しかし、メニエール病にかかり、29歳でプロ野球の選手生活を閉じます。

そんな栗山英樹に、日本ハムファイターズの監督の声がかかる。新人監督として17人目のリーグ優勝という偉業を果たした。

栗山英樹と大谷祥平との出会い。
大谷は中日ドラゴンズの星野監督とのコネが強く、コネのない栗山英樹では歯が立たなかった。
しかし、真摯に大谷祥平の夢を聴いた。二刀流と米大リーグ挑戦だった。
栗山は、まず大谷をリスペクトするところから始めた。大谷に、高卒で米大リーグに入っても大成しない。日本で3年間基礎を作った上で、米大リーグ挑戦をしたらと提案する。その真摯な姿勢が大谷に繋がり、大谷は日本ハムに入団した。
もし、中日に入団していたら、二刀流は誕生していなかっただろう。
なお、栗山は、投手も経験しており、二刀流の難しさと練習方法も知っていた。

WBCで侍ジャパンが優勝したが、不振の村上を使い続け、村上を信頼したことが、最後に村上が復活した原動力となった。

栗山の3年先輩に原辰徳がいた。栗山は原辰徳が在籍していた東海大相模を希望した。しかし、両親の反対で断念。学芸大在学中に一度原と対戦し、その時の写真が宝物となっている。

その原監督は、巨人軍の監督として今年も采配が奮わず、Bクラスを低迷している。名選手必ずしも名監督たり得ずの名言が生きている。
野球も下積みで苦労した栗山は、選手の苦労を同じ目線で感じることができる。同悲同苦、選手と真摯に向き合い対応できる。やはりサラブレッドの原辰徳には無理のようです。

大谷祥平は、高校生の時に、27歳の時にWBCでMVPになる夢を抱いた。その夢を28歳で叶えた。
同時に栗山英樹も夢を叶えた。

夢を叶えるには、努力精進の連続、下積み生活にも耐え、その結果、夢を実現する。その時の勝利の美酒は人一倍美味しい。

昨日の朝6読書会で、一番の伝わった言葉、
ドラフト外の選手でも活躍する選手もいる。その違いは何か?メニエール病の栗山監督は知っている。
大きな原因は油断。清原和博、長嶋一茂は素質だけでやっていた。
清原は酒を食らって開花しなかった。一茂も栗山並みに努力したら大成していた。
衣笠は銀座に行っても、酒を飲まない。飲み屋から消えて、路地裏でシャドースイング、練習していた。だから鉄人衣笠の異名を取り、連続出場記録の世界記録を打ち立てた。

凡人でも非凡な才能の持ち主でも凡時徹底、努力精進することで夢が叶うことを栗山は日本国民に教えてくれた。

もう1つ大切な事。それは縁を大切にし、縁を生かすこと。そして運の強さです。運も自らが引き寄せていく。そんな栗山英樹の人生ドラマと感じました。

そんな栗山英樹を熱く語って頂いた安藤さんに感謝です。

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