「マーキュリー通信」no.5019【本日は㈱もしもしホットライン創業36年・・・そして上場廃止!】
中曽根内閣の時に通信の自由化が決定され、36年前の1987年通信の自由化がスタートしました。
それに合わせて、三井物産在籍中にテレマーケティングの新会社㈱もしもしホットラインを設立したのが本日6月23日でした。
私は1989~1984年、カナダ三井物産に駐在していました。
当時、日本の通信事情はカナダより10年遅れている事に気づき、逆カルチャーショックを受けました。
当時トールフリーサービス(現在の0120-サービス)という無料電話による顧客サービスの一環としてコールセンターが流行っていました。
その頃、三井物産では10年ぶりに新たに営業部門、即ち情報産業部門を設立することが決まっていました。
私はカナダ三井物産社長に、新設の情報産業部門への異動を希望し、OKを頂いていました。
情報産業部門に異動後は、縁あってテレマーケティングの新会社設立のプロジェクトマネジャーに任命されました。
私は、通信の自由化開始前のできるだけ早い時期にテレマーケティングの新会社設立に全力投球で取り組みました。
ただし、同時に新電電の新規開拓営業もしていたので、新会社設立業務は、朝6~9時と帰社後の18~24時まで2毛作をやっていました。
半年間はそんな生活が続いていたので、心身共にぼろぼろになっていました。
社内では、商社はテレマーケティングのような事業には向いていない、中にはテレクラでもやるのかと勘違いする本部スタッフもいました。
しかし、難産の末、6月23日に誕生することができました。
その時2名が三井物産から一緒に出向しました。
既存のテレマーケティングB社から3名スピンアウトして、7名でスタートしました。
新社長は11月1日までは三井物産との兼任でした。
私は一番若かったので、役員の序列は一番下でした。
しかし、事務所探し、人事制度、給与体系、什器備品の調達、従業員の募集そして販路開拓等実際の業務はほとんど全て私が取り仕切り、新社長の了解を取り付けながら進めていきました。というよりは全て任されていたので、これが貴重な創業経験となりました。
もしもしホットラインは、通信の自由化の波に乗り、ほぼ稟議書の事業計画通り、店頭市場、東証2部、1部へと上場していきました。そして、年商1000億円を超える大企業へと成長しました。現在の社名はりらいあコミュニケーションズ㈱です。
同社設立後、直ちに従業員持ち株制度を導入しました。毎月1000円から購入でき、会社が1割補助する福利厚生制度の一環です。
上場時に、数百万円から数億円の上場益を得た社員も多いと思います。
出向者の私はその恩恵にはあずかりませんでしたが、私が同社創業経験は億単位に相当します。
同社設立の10年後、25年勤務した三井物産を48歳で早期退職しました。同社の創業経験がなければ、三井物産を早期退職することはなかったことと思います。
その意味で、もしもしホットラインの創業経験は私の人生を大きく変えました。
また、私の25年間の物産マン人生で一番思い出に残る事業でした。
さて、今回KDDIの子会社KDDIエボルバ社が51%の株式を取得し、筆頭株主となり、同社の上場廃止が決まりました。
KDDIは、同社の顧客第1号であり、これも何かの縁と感じます。
なお、もしもしホットラインの創業期に私は各種経営に着手し、それが現社名のりらいあコミュニケーションズ㈱の発展の基礎になっていることを、昨年出版した「あなたの経営力10倍アップの極意」(セルバ出版 1650円)に詳しく書きました。
その後、時代は大きく変わりました。しかし、事業成功の秘訣は、時代が変わってもあせるものではありません。
本書をご希望の読者には、著者サイン入り、送料込み1500円でお届けできます。
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