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2023年7月28日 (金)

「マーキュリー通信」no.5056【人生に勝利する方程式-323「運が良かった私の人生」】

 

4分の3世紀生きてきた私の人生を振り返り、つくづく運が良かったと思っています。
人生の途上で実に多くの人との出会いがありました。
私の現在があるのも、その人達との出会いがあり、縁を頂き、いろいろと私の為にお力を頂いた事が現在の私に繋がっています。

昨夜は三井物産元常務清水英邦氏の通夜に参列しました。享年98歳でした。
清水さんには仲人をお願いしたそういうご縁のあった方でした。

清水さんは、バンクーバー支店長から帰任し、石炭部長に就任した頃の1979年に出会いました。私が国内の鉄鋼部門から石炭部に異動した翌年でした。

清水さんが石炭部長に就任後の翌年1980年、当時石炭部若手物産マンに人気のあった北米研修員(カナダ、米国で半年間)に私は行くことが決まりました。

当時石炭部に異動して間もない私が研修員でいけるのは1~2年後と思っていました。
しかし、候補者が社内英語検定試験に合格していなかったので、私が繰り上げで当選しました。

研修員期間中は、炭鉱現場に毎日通い、日本人と会うことが一切なく、全てカナダ人との英語によるコミュニケーションでした。そこで私の英語力が一気に上がり、ビジネス英会話を自然と話せるようになりました。

一方、私の研修期間中に、10年ぶりに日本の鉄鋼会社と15年の長期原料炭供給契約が2つも決まりました。

現地はてんてこ舞い。猫の手も借りたい状態となりました。そこで、研修員だった私の米国行きは中止となり、カナダ3ヶ月で打ち切りとなりました。そして、カナダ三井物産バンクーバー支店傘下のカルガリー出張所への転勤が決まりました。

その時、私の夢である「世界を股にかけるビジネスマンになる」という夢が実現しました。
この時期は、私が商社マンとして大きく才能が開花した頃であり、当時人事権を持っていた清水さんには今でも感謝しています。

私の運の良さは、まだまだたくさんあるのですが、また別の機会にメルマガで紹介させて頂きます。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

清水さんとのエピソード
日本鋼管の根本専務が毎年根本ミッションとして来加されていました。
清水さんも毎回同行していました。

アルバータ州都エドモントン市で根本ミッションをアテンドしていた頃の事でした。根本さんは大の麻雀好きでした。ホテルに到着するや否や麻雀のご開帳となりました。
ところが麻雀のパイがないことに気づきました。
当時の担当は私でしたから大ミスでした。

それを知った清水さんが、たまたまバンクーバーで仕事をしていた息子に電話をして、「今から麻雀のパイとゴムマットを持ってエドモントンまで飛んでこい」と指示しました。

バンクーバーとエドモントンの距離は、東京、札幌間と同じです。
とっさの清水さんの機転に私のミスは救われました。

昨夜は、その息子さんとも会い、当時のエピソードを懐かしく語り合いました。

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