「マーキュリー通信」no.5076【ワンポイントアップの思考力-88「戦後、日本政治の悲劇は吉田茂の対米追随外交が連綿と続いていること」】
終戦直後の重要日程とは、
8月15日 ポツダム宣言無条件受諾
9月2日 ミズーリ艦上で降伏文書正式調印 法的に敗戦確定
この日を降伏の日と定め、政府は猛省し、開戦と敗戦の原因を徹底究明し、日本国民を2度と戦争の惨禍に巻き込ませない幸福にする日と誓ったらいかがでしょうか。
この日からGHQによる日本国の支配が法的に開始されました。
1951年(昭和26年)9月8日 サンフランシスコ平和条約、サンフランシスコ講和条約に署名
翌年1952年(昭和27年)4月28日に公布 日本の独立確定、
実際には、政府も主権回復記念日(主権回復の日)としていますが、祝日に定めて、国民に大々的にアピールしていません。
本来なら、この日にGHQの支配から解放され、主権を回復していることになっています。GHQの支配は法的には、1945年9月2日から1952年4月28日の6年半ですが、戦後78年経った現在も米国の日本国支配は続いており、事実上日本は未だに保護国扱いで、独立していません。
その最たるモノが、国防軍が憲法に規定されていないことです。およそ、国防軍が憲法で規定されていない国は独立国とは見做されません。
それは対米追随外交の元祖吉田茂が内閣総理大臣在任期間通算2616日,7年以上に及ぶ超長期政権で権力の座に着き、退陣後も吉田学校と称して現在に至るまで影響を及ぼしていることです。
追随外交というよりはマッカーサー元帥の指示命令に完璧に従った隷従政権でした。制度的には、天皇の上に、GHQがいて、指示命令を出していました。
もし、米国の意にそぐわない政治家はことごとく追放されました。
その1人が、吉田茂より人格も識見も遥か上といわれた重光葵外相でした。
重光葵外相は、ミズーリ艦上で降伏文書正式調印に日本の全権代表として嫌な役を引き受けました。
戦後の首相の大半は大なり小なり対米追随派でした。
その中の一人が小泉純一郎です。
政商竹中平蔵を重要ポストに就け、米国の指示に忠実に従い郵政民営化を実現しました。
この愚挙により、郵貯、かんぽ生命が国民から預かった大事なお金400兆円以上も米国に貢いでしまいました。米国債ですが、実質は返済は困難と言われています。
一方、自主路線を歩んだ首相として田中角栄がいます。
米国の方針より先に日中国交回復をしたことが米国の逆鱗に触れました。そして、ロッキード事件の首謀者として叩かれ、早期退陣しました。
故安倍元首相は、就任当初は追随外交でした。
しかし、途中で自主外交路線も進めたため、暗殺されてしまいました。
これに恐れをなした岸田首相は、ますます米国の優秀なポチとなっています。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
戦後の日本史を把握するには、元外交官孫崎亮著「戦後史の正体 1945-2012」がお薦めです。
大半の外交官は吉田外交とおなじ対米隷従主義で、それが出世街道の王道でした。
その中で異色の精彩を放つのが孫崎亮氏(1943年生まれ)です。
同書は、2012年に出版されました。それ以前の戦後外交をきちんと把握しています。
当時はディープステートという用語は出ていませんが、グローバリストの影響を受けてきた日本政府の実態をよく把握しています。
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