「マーキュリー通信」no.5069【【ワンポイントアップの思考力-83「大東亜戦争末期を戦い抜いた将校が当時の日本軍を語る」】
本日は長崎に原爆が投下され、78回目の日となります。原爆投下で7万4千人の人が亡くなりました。その後、原爆が原因で亡くなった犠牲者は20万人近くとのことです。原爆投下の11時2分に、一緒に1分間の黙祷をしませんか。
さて、戦後70年の年の2015年に下記3冊が発刊され、再読しました。
「パラオ諸島 ペリリュー島 守備隊長 中川州男大佐の霊言」
「沖縄戦の司令官 牛島満中将の霊言」
「硫黄島 栗林忠道中将の霊言」
いずれも幸福の科学大川隆法総裁との霊界通信の書いたもので、戦前の死に至るまでの戦争状況を生々しく語った本人でなければ語れない迫真の書です。
そもそも米国は東部13州が英国から独立して建国。
以降、西に進み先住民を滅ぼしていった侵略で国を大きくしていきました。メキシコやスペインからも領地を奪った。最後は、ハワイ王国に侵略して、自分のものにしたならず者国家です。
当時、欧米の植民地主義はピークを迎え、フィリピンの植民地化に成功した米国の矛先は日本でした。
シナ大陸は清国が日清戦争に敗れて以降、列強の草刈り場になっており、女真族の清国は満州に逃げ込み、そちらを日本は支援していました。
当時、ロシアの南下政策は日本にとっても脅威となっていました。従って、日本としても満州を抑えることで、ロシアの南下を食い止める戦略でした。
その頃、米国は大の日本嫌いのフランクリン・ルーズベルト大統領が排日主義を進め、石油の輸出をストップし、日本にとっては死活問題でした。
従って、南方に石油資源を確保するのは日本としては当然の策でした。
パラオは大の親日国家であり、今でも日本を崇拝しています。
それを戦後50年の村山談話で「日本の侵略」を詫びましたが、あまりにもピントがずれているので、パラオの人たちはあっけにとられていたそうです。
戦後50年の式典には、パラオでは日系の大統領が誕生しました。それくらい親日国家でした。
諸外国の首脳はパラオを表敬訪問しましたが、日本はなしのつぶてだったのが残念でした。
日本の軍隊は、軍規が厳しく、南京大虐殺事件を起こすことなどありえない。
米軍が、日本人46万人も虐殺したカムフラージュの為に捏造したのではないか。もし事実とするな死亡者名簿を提出して欲しい。日本では46万人が殺されたが、大半の名簿は分かっている。
また、従軍慰安婦問題など起こりようもない。
確かに若い軍人のストレス解放のために、慰安婦施設は必要だったが、政府が強制連行することなどあり得ない。
ただし、当時の沖縄、パラオ諸島、硫黄島は最後の激戦地であり、生死を境にした若者達にとり、従軍慰安婦にお金を払って楽しむ精神的余裕などない状態でした。
当時の日米の軍事力の差は格段の差でした。しかし、日本軍の最後の抵抗は米国軍を震撼させました。
日本兵の精神的タフさ、それが原爆投下により日本人皆殺し作戦に繋がったとも考えられます。
そして、戦後の占領地政策には、この日本人の精神的根源である国家神道を根絶やしにする。そのためには、歴史教育から神話の世界を追放する。
そして、日本は悪い国という自虐史観による洗脳政策を徹底していったことが分かります。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
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〒114-0002東京都北区王子5-1-1-1324
菅谷信雄
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