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2023年9月30日 (土)

「マーキュリー通信」no.5124【ワンポイントアップの幸福力-62「映画『20歳に還りたい』に感激の涙」】


昨日から全国封切りとなった映画『20歳に還りたい』(制作総指揮、原作 大川隆法)を観に行きました。

主人公80歳の寺沢一徳は老人ホームで一人寂しく過ごしています。
彼は事業家としては、1代で財をなし、大成功しました。
しかし、家族を顧みぬ寺沢に反抗し、子供達は家出をしてしまいます。
妻も40歳頃、他界します。

そんな寺沢を介護する20歳の女子大生明日香と一緒にいると心が落ち着きます。
ある日、明日香は、寺沢に「神様に1つ願い事をしたら」と提案しました。
寺沢の願い事は20歳に還りたいでした。

そして、希望通り20歳の大学生に戻った寺沢、そこから20歳と80歳を行きつ戻りつしながらドラマは展開していきます。この展開が素晴らしいです。つまり20歳の寺沢には、80歳の豊富な人生の経験を積んだ重みが加わり、周囲の仲間は一目置くようになります。

そして、最後のシーンは感動しました。そして、感激の涙を流しました。


さて、私は20歳の時、朝日洋上大学の一員として、米国まで往復の船の旅、37日間をさくら丸という船に乗船し、米国の政治経済社会を学びました。停泊地は、オアフ島、ハワイ島、ロス、シスコでした。
20歳の私には見るモノ聞くモノ全てが感激の連続でした。そして、日米の国力の差を実感しました。

男子学生300名、女子学生75名、朝日新聞社スタッフ25名、計400名の陣容でした。

当時、新聞配達員が不足しており、その確保の為に、朝日新聞を朝夕1年間配達して、その給料17千円の内、15千円を積立、不足分を朝日新聞が補填するという制度でした。

第1期生として何もかも初めて、試行錯誤を繰り返しながらの洋上大学でした。375名の男女学生が同じ釜の飯を食う訳ですから、その絆は深くなります。
洋大生同士10組くらい結婚しました。

あの時の若いエネルギーは下船後も続き、青春の楽しくも充実した1ページでした。

私は世界を股にかけるビジネスマンになるという夢を抱いていたので、一橋大学商学部に入学しました。

そして、朝日洋上大学はその第1ページとなりました。

当時、1ドル360円の時代、日本製品が米国で多数売られていました。しかし、当時に日本製品は安かろう悪かろうの時代だったので、お土産の裏を見て、made in Japanと書いてあったら、買うのを止めました。


1ドルを円換算すると、米国製品は何でも高く感じました。感覚的にはその半分程度でした。この私の感覚は当たり、その後、為替は変動相場制に移行しました。1985年のプラザ合意で超円高に舵を切り取ることになります。

寺沢一徳より6歳若い私ですが、全力投球で人生を駆け抜けてきたので、後悔はありません。

私は120年の人生計画を立てているので、残りの4分の1世紀の人生プランも明確です。

ミッションで生きてきた私の人生、私のミッションである生涯現役社会の仕組みを創る。その中核事業は日本初 シニアとシングルマザー、シングルファ-ザー用シェアハウス ユートピア館となります。

少なくとも80歳の寺沢翁のようにはなりたくないと感じました。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

映画『20歳に還りたい』の観賞をご希望の読者には、先着5組(10枚)をプレゼントします。一緒に感動を味わいませんか。ご連絡をお待ちしています。

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