「マーキュリー通信」no.5112【クリエイティブに生きる-103「「マーキュリー通信」の前身「ひとり新聞四季」の読者投稿に思う」】
昨日、書類を整理していたら、「マーキュリー通信」の前身、「ひとり新聞四季」の読者からの感想文が大量に見つかりました。
「ひとり新聞四季」は、1991年4月1日、新規事業㈱もしもしホットラインのテレマーケティングを成功させ,三井物産に戻ることが決まった時を記念してスタートしました。
「ひとり新聞四季」とは、過去3ヶ月間に公私ともに起きた出来事をワープロで作成し、写真等を切り貼りして、A4 8ページにまとめた新聞形式のコミュニケーション媒体でした。
それをKINKOSでカラー用紙に200部モノクロ印刷し、ビジネスや異業種交流会で出会った人を中心に郵送していました。その名の通り、四半期に1回作成していました。
まだインターネットもパソコンも発達する前の時代でした。
毎回読者から多数の感想が送られてきましたが、読者との双方向のコミュニケーション紙でもありました。
何よりも楽しいのはパソコンが普及する前で、ワープロがそこそこに普及した時代だったので、手書きの感想文が大半でした。文字には読者の個性が表れており、改めてアナログの温もりと素晴らしさを感じました。
一番印象に残った手紙は、中学1年生の時の恩師小林とみ子先生の姪からの手紙でした。
小林先生とは毎年年賀状を交換していました。毎年はがきの裏表にぎっしりと文字を書いて送ってくれました。しかし、ある年の年賀状が届きませんでした。
年賀状の返信として、先生と同居していた姪から手紙が届きました。先生が他界した内容でした。
先生の80歳の誕生日祝いに先生の昔の教え子数名を誘ってお祝いに駆けつけたことがありました。
その時、先生は既に認知症になっており、私以外の教え子の名前を5分ごとに聞いていました。その時の場面が蘇ってきました。
姪からの手紙では、その時の楽しかった事を先生は「何度も何度も楽しかったと楽しそうに話している姿が印象的でした」との内容でした。「伯母の最期に本当に素晴らしいプレゼントをありがとうございます。」と最後を締めくくっていました。
もちろん「ひとり新聞四季」も一緒に愛読していて頂いていました。その感想文も頂いていました。
「ひとり新聞四季」の読者で他界した人も多数います。
そこに諸行無常を感じ、時の移り変わりを感じました。
その後、インターネットが発達して、e-メールをする人が急増してきたので、19年前の2004年10月から現在のメルマガ「マーキュリー通信」に切り替えました。「ひとり新聞四季」は、15年間続きましたが、今でも原稿を大切に保管しており、私の知的財産の1つになっています。
「ひとり新聞四季」の作成の手間暇から考えると、「マーキュリー通信」の作成は至って簡単です。
しかし、「ひとり新聞四季」は手間暇をかけた分、読者との温もりを感じていたことを時を経て、再び感じました。
| 固定リンク | 0
« 「マーキュリー通信」no.5111【ワンポイントアップの思考力-95「米ドル没落の脅威となるBRICS共通通貨構想」】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.5113【ワンポイントアップの思考力-96「地球上の最大の害虫は人間」】 »
コメント