最近仕事を通じ親しくさせている一水会木村三浩代表と直接お会いして、木村代表のお考えを直接お聞きしました。
ウィキペディアで一水会は、右翼団体と説明していますが、木村代表の価値観と私の価値観は同じでした。
すなわち、万世一系の天皇の下、2700年近く続く世界で唯一の日本の文化伝統を誇りに持ち、子々孫々に伝えていくという保守思想と何ら変わりありませんでした。
昨日、一水会フォーラムがあり、そこにダイレクト出版でいつも動画視聴している京大藤井聡教授が登壇されることもあり、初参加することにしました。
たまたま昨日は三島由紀夫が自刃した決起前夜だったので、その追悼恢弘(かいこう)祭が厳かに執り行われました。
三島由紀夫は、昭和45年(1970年)11月25日、市ヶ谷陸上自衛隊で森田同志と共に割腹自殺しました。享年45歳。
当時は70年安保の年、私は大学3年生でした。多くの若者は安保反対と大学立法反対で学生運動が最も激しい時代でした。
その前年母校一橋大学では過激派学生が校舎を占拠し、半年のストライキがあった異常な年でした。
しかし、三島由紀夫の割腹自殺は、日本社会に大きなインパクトを与えましたが、私自身当時はよく理解できませんでした。
その後、50年以上の歳月を経て、昨日その檄文を読みました。
彼の憂国の想い、その一言一句が伝わってきます。心に響きます。
※檄文は、下記URLから拝読できます。
https://blog.goo.ne.jp/chuo1976/e/7e7c82cc914909c742ae8dd3db33e413
自衛隊は、当時も現在も明らかに違憲です。
それを政府はご都合主義で憲法を拡大解釈し、事実上は軍隊である自衛隊を軍隊とせず、現在まで切り抜けてきました。
自衛隊は手足を縛られ、事実上は米国の出先機関として機能してきました。
1970年は万博が開催された年であり、高度成長の最盛期でした。GDPは世界第2位まで上り詰め、米国は日本を米国製品、農産物の消費国としての価値がありました。
しかし、高度成長期は終わり、日本の国力は年々低下しており、日本の利用価値は低下しています。
逆に、米国は日本崩壊の予測をして、日本の優秀な企業の買収に入っています。
一方で、当時中国は毛沢東率いる貧しい共産主義国家でした。しかし、現在は世界第2位のGDPとなり、日本の土地、水資源の爆買いを始め、日本侵略の手を着々と打っています。
従って、改憲の重要性は、1970年当時以上に高まっています。
しかし、岸田首相以下対米隷従、対中ご機嫌取り政権は、自己保身に走っています。
この惨状を三島由紀夫が見たら、嘆き悲しむことでしょう。
我々は今こそ三島由紀夫の遺志を受け継ぎ、保守が大連合し、国会議員を送り込むことです。
日本の政治をここまで劣化させた親中政党公明党に代わり、自民党と連立政権を組み、改憲の道へと進むことが現実的な選択と思います。
さて、右翼団体一水会と私のような保守層とどこが違うのかを興味深く観ていました。
第1部の恢弘祭では、三島由紀夫、森田両同志の遺影の前で、君が代斉唱から始まり、2名の神主が祝詞を上げ、最後は「天皇陛下万歳三唱」で幕を閉じました。1時間の儀式でした。
私自身は物事を素直に受け止めるタイプなので、右翼の人たちの純粋な想いが伝わってきました。
ただし、一般の人は違和感を覚える人も多いと思いますが、このような儀式が早く一般化することを期待しています。
左翼にも純粋な想いの人がいるでしょう。私の学生時代は、大半の学生は、共産党、社会党を支持する左翼思想でした。それを格好良いと勘違いしていました。今思うと一種のハシカでした。しかし、私も含め不勉強でした。今はその不勉強を猛省しています。
第2部は京都大学藤井聡教授が、三島由紀夫の割腹自殺を採り上げた講演でした。
未だに戦後レジームが続いています。
戦後レジームとは、ヤルタ、ポツダム宣言に基づき実施された米国の占領政策であり、国連至上主義です。それが戦後80年近くも経つのに、いまだ続いています。
独立国家なら国家の最重要政策、国防が、いまだに米国頼りとなっています。
その戦後レジームを打破しようとしたのが、故安倍晋三首相でした。
藤井教授は、安倍内閣の政策参謀として6年間仕えてきました。
残念ながら第1次、第2次安倍内閣では、その想いが実現しませんでした。
しかし、安倍さんは第3次内閣では是非実現したいと藤井教授に抱負を語っていたそうです。
逆に言えば、それは米国の逆鱗に触れることになるので、私はそれが暗殺された原因と推測しています。
藤井教授は、国防ともう1つ大切な政策として国土強靭化計画を掲げています。
民主党政権の時に、「コンクリートから人へ」という意味不明な政策を掲げたため、八ッ場ダム他の建設がストップされたりしました。
もし、国土強靭化計画を実行していれば、東日本大震災では、被害者を最小限に食い止めることができたかも知れません。
これを同じ脳天気なことをやっているのが岸田内閣です。
日本は災害大国です。国土強靭化により人命を守ることができます。
それをやらずに多数の犠牲者が出たら、それは人災となります。
岸田首相は、自らが殺人に手を貸していることに早く気づいて欲しいです。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
学生時代、私は当時の佐藤栄作首相の対米追従外交に、他の多くの学生達と反発していました。
その怒りを反戦歌「イエスタデイのテーマ」として、昭和44年に作詞作曲しました。
イエスタデイとは、昨日の嫌なことは忘れようという意味が込められています。全部で9番までありますが、ここでは1番と9番をご紹介します。
今では、当時の世相に踊らされた不勉強者として反省しています。
私は20歳の時に、朝日洋上大学の洋大生として、375名の大学生と共に米国にさくら丸という貨客船内で、37日間にわたり、米国の政治、経済、社会を学びました。
班別の歌合戦で、2班の仲間20名と一緒に「イエスタデイのテーマ」を合唱しました。
1.栄ちゃんと一緒に楽しいね 日本の自衛隊 イエスタデイ
栄ちゃんと一緒に楽しいね アメリカボスの自衛隊
可愛子分を増やす為 三矢作戦徴兵令 イエスタデイ イエスタデイ
9.栄ちゃんと一緒に決めようよ 大学立法 イエスタデイ
栄ちゃんと一緒に決めようよ 安保これで万々歳 イエスタデイ
可愛子分を増やす為 三矢作戦徴兵令 イエスタデイ イエスタデイ
イエスタデイ イエスタデイ
ふざけんなコノヤロウ!
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