「マーキュリー通信」no.5200【人生に勝利する方程式-332「Think big! 2000人の寒村、江戸を100万都市にした家康の先見力」】
今年のNHK大河ドラマは、「どうする家康」ですが、ドラマの演出に興ざめして、昨年の鎌倉殿に続き、途中で見るのを止めました。
一方、同時に再放送中の大河ドラマ「篤姫」の演出は素晴らしく、毎週感激しています。
さて、天下を取った太閤秀吉から、長年住み慣れた駿河から関東八州への領地替えを命じられたのは家康49歳の時でした。
当時の江戸村は人口2000人の寒村、湿地帯で城下町を築くには適していませんでした。
当時の49歳は人生50年代ですから、そろそろ隠居の歳です。
当然、家臣は全員猛反対です。
しかし、家康は家臣の猛反対を押し切って、江戸への領地替えに応じます。
産業を興すには、水が重要です。
当時氾濫していた利根川の流れを変えるという一大土木事業を敢行します。
当時の運送は舟が中心でしたから、河川、運河網を築いていきます。
埋め立ても積極的に行い、葦が茂っていた江戸村が徐々に変貌していきます。
江戸城を築き、内堀、外堀と造っていきます。現在の内堀通り、外堀通りはその名残です。
城の西側には武士を中心とした山の手地区、東側は庶民が住む下町を造り、商工業の発展にも努め、縦横無尽に張り巡らされた河川や運河が威力を発揮し、江戸の発展に貢献します。
こうやってわずか2千人の寒村だった江戸村が江戸時代には100万都市まで成長し、世界一の文化都市へと変貌していきます。
家康の先見力と街造りの実行力があったからこそ現代の東京があるわけですね。
一方、当時秀吉は55歳、そろそろ老境にさしかかっていました。
秀吉は百姓の出身で子供の頃、食べることに苦労しました。
その反動か、美食家でした。これが秀吉の命を縮める事になります。6年後の61歳で他界します。
家康が天下取りをするために長生きが絶対不可欠です。そこで家康は食事に気を遣いました。その結果73歳まで生きました。秀吉より18年長生きしました。
長生きのおかげで天下取りができたことになります。
健康に対する自信がなければ、江戸への領地替えは拒否していたことでしょう。
さて、私は現在74歳、当時の年齢に換算すると、家康と同年齢の49歳となります。
私も健康には人一倍気を遣い、現在心身共に一番元氣です。
この健康状態があるので、日本初、シニアとシングルマザー用シェアハウス ユートピア館の建設事業を推進できるのですね。
来年末完成を目指していますが、25年間かけて1万棟を造る計画です。
私も家康を真似て、Think big!でいきたいと想います。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
6月7日5000号を突破しました。
読者から指摘され、今回が5200号と気づきました。
わずか半年で200号を書いたのですね。
本日で今年347号目なので、このままのペースでいくと、2021年の350回を越えて、最多回数360回ほどになりそうです。
なお、年間300回を越えるのは今年で5回目となります。
改めて読者の皆様に感謝申し上げます。
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