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2023年12月 4日 (月)

「マーキュリー通信」no.5188【ワンポイントアップの感謝力-10「人生を大きく変えた高校生時代】


昨日、母校神代高校の80周年の記念同窓会に参加しました。
すると高校時代のことが走馬燈のように蘇ってきました。
わずか3年間ですが、私にとって人生が激変した3年間でした。

激変その1 父が家出から10年ぶりに帰宅
母が私が5歳の時他界しました。その翌年、父は1歳年下の妹を置いて、家出してしまいました。
幸い祖母が二人を見つけ、実家で引き取って育ててくれました。
実家、母の兄は調布市で自転車店を営んでいました。
伯父夫婦に子供がいないので、私は将来養子となって、小林家を継ぐことになっていました。
ところが高校2年生の夏7月に父は10年ぶりに家出から帰ってきました。
そこで、私の跡取りの話はなくなり、父と妹、3人の貧乏暮らしが始まりました。

激変その2 一橋大学商学部現役合格
家出から帰ってきた父は現場労働者として働いていました。
再会時の父は作業着の汚い格好でした。
その姿を見て、私は「将来、絶対に父のような人生を送りたくない」と決意しました。
そこで、日本は資源小国だから貿易立国が国是、将来は世界を股にかけるビジネスマンとして日本の國に貢献していこうという大志を抱きました。

そのために、一橋大学商学部を選びました。
家が貧乏のため、浪人は許されません。参考書を買うお金も限られていました。もちろん塾代も出ません。

そんなハンデの中、1年半全力投球で受験勉強に集中しました。
私は団塊の世代なので、受験戦争と言われ、一橋大学に現役合格は至難の業でした。しかし、運良く、現役合格できました。

翌年神代高校の入学式に招待されました。その時、校長が「今年は一橋大学に史上初、現役合格者が出た。諸君も先輩の後を継いで頑張れ!」と激励のメッセージを送っていました。

激変その3 校風が激変
当時の神代高校は、3年生になると高校生活を思い切りエンジョイするという風潮でした。
そこでこの風潮を断ち切るために、親しくしていた生物の矢野善久先生に、国公立早慶クラスを作るように依頼し、先生に担任もお願いしました。
矢野先生は私の要請を快諾し、国公立早慶クラスの3年1組が誕生しました。
1組だけは別世界で、この年、国公立早慶有名私大に10数名合格しました。
矢野先生は、その後忠生高校の校長となり、卒業後も先生と交流があり、先生のお通夜にも参列しました。

その他の思い出1
当時の神代高校はハンドボールの強豪校で全国レベルの実力でした。
ミス・ハンドボールのC子さんは、神代高校1の人気で男子高生憧れの的でした。
ある時、図書館で受験勉強をしていると、C子さんが親友のIさんと一緒に私のところにやってきました。数学の試験問題で分からないところがあるので教えて欲しいとのことでした。それが縁となって、C子さんとは親しくなりました。
一橋大学に合格し、彼女に勇気を振り絞って付き合って欲しいと頼みました。
彼女からOKを取り付け4年間おつきあいしました。
しかし、4年間手を握ったこともなく、プラトニックな4年でした。
一橋大学を卒業し、三井物産に就職すると彼女と付き合う暇がなくなりました。
その間、彼女は親からお見合いを奨められ、私の知らないうちに22歳で結婚してしまいました。

その他の思い出2 十和田、奥入瀬旅行
父親が現れるまで、大学受験をすることは考えていなかったので、それまでは部活を始め思い切り高校生活をエンジョイしていました。
調布中学時代の親友工藤君の実家が秋田県だったので、一緒に十和田、奥入瀬旅行をしました。
その時の思い出は強烈に残っています。お風呂の壁紙として、奥入瀬渓谷の写真を貼っています。

その他の思い出3 ビートルズと決別
1964年調布中学3年生の時、ビートルズは日本でも大ヒットしました。
シングル盤50枚以上買って、毎日ビートルズの曲を聞いて夢中になっていました。当時シングル盤1枚330円でしたが、毎月のバイト代で購入していました。

しかし、一橋大学受験を決意した私は、思い切ってビートルズと決別し、シングル盤を全て処分しました。
一橋大学合格後、シングル盤の代わりにLPレコードを全て買い直しました。

その他の思い出4 グループサウンズ全盛時代
ビートルズの影響を受けて、ブルーコメッツ、タイガース、ワイルドワンズ他多数のグループサウンズが登場し、高校生を虜にしました。
私の一番好きな曲は、ザ・サベージの「いつまでもいつまでも」でした。

高校3年間を今振り、まずは父に感謝です。父が家出から帰ってこなければ、私は自転車店の息子として後を継いでいました。今とは全く別の人生を歩んでいたことになります。

菅谷家は、貧乏で暖房器具もありませんでした。私の手足の指は全てしもやけで膨れていました。
そんな私を見て、父はなけなしの金を叩いて秋葉原で電子ブーツを買ってくれました。そのおかげで風邪もひかずにすみました。

そして、家事を取り仕切り、高校生だった妹はよく頑張りました。家計を守り、支えてくれた妹に感謝です。

次に3年の担任の矢野先生です。矢野先生との出会いがなければ、受験勉強に集中できず、一橋大学合格は叶わなかったことと思います。

現代国語の教師横田賀太郎先生にも感謝です。現国が苦手な私は、現国で評判の横田先生の噂を聞き、職員室を訪ね、弟子入りを志願しました。私のことを知らない横田先生は、突然の私の要請を快諾して頂きました。
毎日職員室に通い、朝日新聞の社説と天声人語を読み、文章の解読をして、横田先生に添削して頂きました。そのおかげで現国の力はみるみるついていきました。

それ以外の先生にも数多くの思い出と感謝の気持ちでいっぱいです。

校舎は全て建て替えられ、私が在学中の木造のおんぼろ校舎は存在していません。しかし、ここには私の青春時代の想いがぎっしり詰められており、神代高校には感謝の気持ちでいっぱいです。

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