「マーキュリー通信」no.5255【ワンポイントアップの感謝力-28「父に感謝」】
前回のワンポイントアップの感謝力で、父が家出して10年ぶりに帰宅した旨、書きました。
これを父の立場で観察してみると、ホームレス状態で帰るということは、子供からの軽蔑、実家を始め親戚筋からの怒り、恨みを買うことが予想されたでしょう。
金持ちとなり、これまでの養育費をお返しするならまだしも、ほとんど所持金なしのホームレス状態でした。そんな恥を忍んでの帰宅でした。
もし、金持ちで帰ってきたなら、天真爛漫な性格の私ですから、勉強も適当にやり、どこかの大学に入学したことでしょう。
しかし、みすぼらしい父の姿を見て、「父のようには絶対になりたくない」、父を反面教師として人生生きてきました。
努力を怠ると、父のようになってしまうという恐怖心がいつの間にかすり込まれていました。生涯「努力精進」という刷り込みが、現在まで続いています。
「努力精進」が私の強力な武器となり、現在の私があるのは父のおかげと現在では感謝できようになりました。
大学受験当時、貧乏のため、暖房もありませんでした。
そのため、私の手足、全てがしもやけ、あかぎれ状態でした。
そんな私を見て、秋葉原で父は電子ブーツを買ってきてくれました。
私の喜ぶ顔を見て、無口な父は、はにかみながら笑顔見せた父の顔を今でも覚えています。
私が三井物産に入社しても、父は、生涯「おまえの世話にはならない」と言っていました。
よって私は自由に商社マンとして世界に羽ばたくことができました。
三井物産入社後、人事部に頼み、特例として三井物産府中寮(独身寮)の入寮が認められました。
私は父に再婚を勧め、その伴侶を一生涯大切にして、96年の生涯を閉じました。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
父と一度テレビのチャンネル争いでとっくみあいの喧嘩をしました。
その時、私はこれでやっと親子になれたと思いました。
しかし、父はこれで親子の仲は終わったと思ったそうです。
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