「マーキュリー通信」no.5278【ワンポイントアップの幸福力-68「「成幸」の後には自己成長が伴う」】
大学1年~2年生にかけて、朝日新聞を1年間朝夕配達しました。
当時、配達員不足に悩んでいた朝日新聞の新しい企画として、朝日洋上大学制度を立ち上げました。
新聞を朝夕配達すると、米国に行けるという企画でした。
当時配達員の給料は17千円、15千円を天引きして、不足分を朝日新聞が補填するという制度でした。
当時海外旅行は夢の時代でした。
さくら丸という貨客船を改造して、30日間船上で米国の政治経済社会歴史を学びます。
1週間は、ハワイ、ロス、シスコを訪ねます。
そこで私はこの新制度にチャレンジしました。
朝夕の新聞配達は、大変でした。
毎朝4時起きして、新聞店に出かけ、まずはチラシを新聞に入れる作業です。
それが終わると5時半頃から2時間かけて配達しました。
雨風、そしては冬は雪が降りました。私の時は、4月まで大雪が2回降りました。その場合、自転車が使えないので、歩きながら6時間かけて配達しました。
台風の時は、新聞が飛ばされないように苦労しました。
冬季は早朝は暗く、暗闇から犬が吠えてきて、びっくりしたことが何度もありました。
私が配達していた調布市は工事が多く、工事の穴に落ちたこともありました。
そんな大変な思いをして、何とか1年間新聞配達をやり遂げました。
その時、苦難困難をやり遂げた不屈の精神が備わっていました。
全国から学生が375名(男子300名、女子75名)+朝日新聞からスタッフとして25名参加し、総勢400名の朝日洋上大学でした。
新しく立ち上げるので苦労も多かったですが、新しい事を創りだしていくことも学びました。
その過程の中で、朝日洋上大学生同志、同じ釜の飯を食った仲間として、深い絆で結ばれていきました。
その中から10カップルほど結婚しました。
私自身は、20歳の青春を思い切り謳歌しました。
当初は、米国遊学が夢でしたが、それ以外にも多くのモノを手に入れました。
2時間の新聞配達はものすごい運動量です。当時マンションはなく、2階建てのアパートが多かった時代でした。2階まで駆け上がり、新聞配達しました。
そして、早寝早起き、私自身生涯を通じて一番健康だった時期でした。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
当時1ドル360円の時代でした。
米国で商品を買うとき、円換算すると何でも高く感じました。
感覚的には1ドル200円程度でした。
その感覚が当たり、その16年後、1985年にプラザ合意で一気に円高となり、200円となっていきました。
また、当時、商品の裏を見ると、made in Japanと書いてあり、それを避けました。当時の日本商品は安かろう、悪かろうの時代でした。
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