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2024年3月 1日 (金)

「マーキュリー通信」no.5285【人生100年時代をぴんぴんころりで楽しく生きる法-135「諸行無常を感じる」】


昨日、妹からの連絡で継母(父の後妻)が昨年11月に他界していることが分かりました。享年93歳でした。

高校2年生の時に、父が10年ぶりに家出から帰ってきました。
その後、私は三井物産に入社し、生活も安定してきたので、父に再婚を奨めました。
二人の子供がいては、後妻との新生活もやりづらいだろうと考え、私は三井物産の独身寮が、たまたま近くにあったので、入寮することを決めました。
また、妹にも早く結婚するように言いました。

その後、父は借家住まいから、庭付きのマイホームに住みたいと言ってきました。
父の給料では、庭付きのマイホームは高嶺の花です。当時高田馬場にある製薬会社(三宝製薬)に勤めていたので、比較的安い西武線沿線のマンションの庭付きの1階を奨めました。

しかし、父は戸建てにこだわり、私に相談もなく、京王線の高尾山駅から車で15分の場所にあるマイホームを手に入れました。何と、75歳までの住宅ローンです。三宝製薬の定年は55歳です。定年後の20年の残債をどうするのかと聞いたのですが、「何とかなる」と楽観的でした。当時の平均寿命は70代半ばでした。
当然、私は猛反対しました。しかし、既に契約をしていました。そして、私に保証人になってくれと頼んできました。

私は事前に相談がなかったので、「そんなリスクは負えない」と断りました。
そこで、後妻の親戚に頼み、何とか保証人を確保し、融資は実行されました。

その時、父は子供二人を置いて、10年間家出したことを後妻に話していなかったようです。

それ以降、後妻は私のことを親不孝者と見做し、継母との関係が悪化し、継母は親子の縁を切ると言ってきました。

もし、父が家出せずに、二人の幼児を男手一人で頑張って育てていたら、父との親子関係も変わっていたことでしょう。
義理人情に厚い私の性格からして、保証人のリスクを引き受けていたことでしょう。

父は、私と妹より後妻を選択しました。妹に3人の娘がいるので、可愛い孫とも縁を切ることになりました。

その後、両親の高齢化が進み、2階建ての戸建ては住みづらくなりました。
そこで八王子のマンションに住み替えることになりました。
それを機に、私から復縁を申し出て、一応断絶状態は解消しました。

8年ほど前、八王子のマンションを訪ねたとき、後妻の認知症が進み、室内はゴミ屋敷と化しました。
冷蔵庫内は、期限切れの食材がぎゅう詰めとなっており、異臭が漂ってきました。

このままでは中毒死してしまうと思った私はマンションを売却して、老人ホームに住むように奨めました。
後妻は猛反対でしたが、何とか売却の承諾を取り付けました。

そして、妹が、妹の自宅付近(川崎市)に老人ホームを見つけ、そこに2人で入居することになりました。

しかし、後妻は敗血症に罹り、担当医師から余命幾ばくもないと告げられました。
ところが後妻は奇跡的に助かり、当初の予定通り、老人ホームに住むことになりました。

老人ホームの生活費は二人で月40万円、年金だけでは賄えません。
そこで、マンション売却代金で不足分を補い、二人が105歳まで生きたと仮定して生活設計を立てました。

その後、5年前に父が96歳で他界しました。
その結果、老人ホームの保証人は私には資格がないと言われました。
私と後妻とは血縁関係がないからです。そのためには養子縁組が必要とのことでした。
既に認知症が進み、耳がほとんど聞こえない状態なので、保証人は事実上困難でした。

そこで、継母の腹違いの女性が保証人となりました。

ところがその保証人も昨年3月亡くなっていることが分かりました。
保証人は、従姉妹に引き継がれました。

今回、継母の通帳には数百万円遺っていますが、遺産相続は、法律上は血のつながりのあるその女性に引き継がれました。

もし、継母は敗血症で亡くなっていたら、マンション売却代金は私のところに遺産相続されたことになったわけで、日本の法律制度の矛盾に気づかされました。

父が亡くなったとき、南多摩に医王寺という寺に納骨壇を後妻分も含め確保しました。

菅谷家の墓は調布の源正寺にありますが、私の母と後妻が一緒に墓の中で眠る事を嫌ったので、後妻と父を同じ納骨壇で永眠するよう段取りしました。

しかし、法律上の制約から、継母の死を知ることもなく、納骨壇に一緒になることはできませんでした。

もし、父が後妻に「二人の子供には家出して迷惑を掛けた」ときちんと説明していれば、父の人生は変わっていたことでしょう。

父は、後妻には頭が上がらず、言い出せなかったのかも知れません。

父は、生前「信雄には絶対迷惑を掛けない」と常々語っていましたが、最期は思い切り、面倒を掛けることになりました。

いずれにしろ、後妻と父の夫婦関係は仲むつまじく、その意味で継母には感謝しています。

父の人生を振り返り、まじめだけど頑固、一途な性格が、父の人生の一生涯となりました。

私も父と性格が似ている部分もあり、父の人生を振り返り、学ぶところ大でした。
そして、諸行無常を感じました。

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