「マーキュリー通信」no.5376【ワンポイントアップの感謝力-40「三井物産に感謝」】
私が三井物産を早期退職したのが、今から27年前の明日でした。
私にとっては大きな決断でしたが、今から振り返ると大正解といえます。
会社の看板、地位肩書き、収入より「本当の自分に忠実に、自分らしく自分の人生を生き抜く」が早期退職の理由でしたが、その通りの人生を歩むことができている幸福感を感じています。
三井物産では、入社10年間は若手社員の人材育成プログラムとしてCDP(Career Development Program)があります。
原則入社から3年間は、財務、経理、運輸等の本部の仕事を任せます。
その経験後に営業部門に異動します。
私の場合、開発会計の所属となりました。
営業希望をしていた私にとり不満でした。
しかし、今となっては経理の実務3年間の経験が、現在の経営コンサルタントの仕事に役立っています。
三井物産在籍25年間で、10箇所の職場を経験しました。
三井物産では、毎年人事調査表に自分の異動先を記入できるシステムがあります。
次の異動先を希望しない場合、断ることができます。私は3回断りました。よって、私の希望は、ほぼ叶いました。
また、私の人事異動に際しては、世界と日本の大きな変化が影響していました。
入社2年目、開発営業、今でいうデベロッパー事業ですが、そこの担当課長から気に入られ、そちらに人事異動が決まりました。銀座の高級クラブに招待され、タイピンセットをプレゼントされ、今でも大切に保管しています。
しかし、その頃、田中角栄首相の日本列島改造ブームが突如崩壊し、国内景気が一気に冷え込みました。
そのため、私の人事異動は取り止めとなりました。
もし、予定通り人事異動していたら、今頃不動産関係のデベロッパー事業に携わっていたことになります。
一方、第2次石油危機が発生し、石油の代替資源として石炭人氣が一気に高まりました。
石炭炭鉱の新規開発業務のため、私はカナダ三井物産に異動となりました。31歳の時でした。
ところが新規炭鉱の開山の直前に、日本の鉄鋼産業が未曾有の不景気陥りました。
そして、石炭ブームが去り、私は1年早く帰国することになりました。
その頃、中曽根内閣の時代でしたが、電電公社、国鉄、塩の専売公社の民営化が決まりました。
三井物産では、電電公社の民営化に伴い、新たに10年ぶりに営業部門として情報産業部門を創設しました。
私は、新設の情報産業部門の異動を希望し、上司の許可を得ました。
その時、手がけた事業がテレマーケティングの新会社もしもしホットラインの立ち上げ、そして営業担当の役員として出向することになりました。
もしもしホットラインは、通信の自由化の波に乗ることができ、年商1000億円を超える東証一部上場企業に成長しました。
もしもしホットライン創業の10年後に三井物産を早期退職することとなります。
三井物産在籍中の25年間、実に多くのことを経験しました。
そして、実に運の良い人生だったと思います。
今振り返ると、私を育てて頂いた三井物産に感謝の気持ちでいっぱいです。
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