「マーキュリー通信」no.5447【奇人変人が世の中を変える!-521「渋沢栄一が新1万円札になった理由を深掘りする」】
日本の資本主義を創った事を高く評価され、渋沢栄一は新1万円札となりました。
しかし、渋沢栄一は、若い頃幕府転覆のテロリストでした。
その後、水戸藩主一橋慶喜の幕臣となり、180度人生が変わります。
一橋慶喜は、その後15代将軍となります。
しかし、薩長を中心とする新政府軍に敗れ、幕府は賊軍となります。
1868年に明治新政府が誕生します。
新政府の実権は倒幕に功績のあった薩長土肥の4藩が握っていました。
私は、明治新政府には人材がいなかったので、渋沢栄一が抜擢されたものと理解していました。
しかし、歴史家加来耕三氏の渋沢栄一論を視聴して、改めて渋沢栄一の偉大さを感じました。
その原点は、将軍慶喜からパリ万博使節団の団長徳川昭武の補佐役として任命されたことに起因します。
昭武は慶喜の弟であり当時15歳、その補佐役として当時28歳の渋沢栄一が抜擢されました。
随行員は33名ですが、頭の固い幕臣に1名民間出身の渋沢栄一を加えた慶喜の慧眼には敬服します。
当時の欧州は、資本主義で国家を豊かにして、軍事力を強化し、アジアアフリカ、中南米に侵略し、植民地支配を進めていた頃です。
1840年には、英国はアヘン戦争で大国清を破り、支配していきます。
アヘンは当時も違法でした。そんな違法のビジネスで大英帝国が巨万の富を得ていたこと、それが大英帝国繁栄の経済力の1つだったわけで、これを見ただけでも、彼らの野蛮性を感じます。
よって、慶喜もその脅威を感じていたのでしょう。頭の柔軟な渋沢栄一に、当時の欧州事情をつぶさに調べてくるよう命じていたモノと思います。フランスから600万ドルの借款をすることもその1つでした。慶喜は薩長に対抗する軍事資金を必要としていました。
パリ万博使節団は、万博見学の後、欧州各国を視察します。
そこで渋沢栄一は、欧州の資本主義を初めて知り、驚きます。
当時28歳の渋沢栄一は、感受性が強く、貪欲に欧州の諸制度を吸収していきます。
明治維新となり、薩長連合の政府となりました。
殖産興業と富国強兵のスローガンの下、新政府は改革を進めていきます。
しかし、その財源がありません。
そこで渋沢栄一は、公債証書の発行を提案します。今でいう国債です。
新政府の高官は、公債証書発行のアイデアなど思いもつきませんし、どうやって実行するかさえ分かりません。
そこで渋沢栄一の出番となります。
当時の最高権力者は大久保利通と木戸孝允でした。大久保は渋沢栄一を嫌っていましたが、背に腹はかえられない。やむなく公債証書の発行を認めます。
そこから渋沢栄一は、第一銀行を設立し、頭取となります。
渋沢栄一は、欧州でどういう産業が発達するかその目でしっかりと見てきました。
そこで日本にも同様に鉄鋼業、セメント業、電力会社、鉄道、建設業他水を得た魚のように次から次へと創っていきました。
その結果、累計で500の企業を設立することになりました。
現在の社名にすると、みずほフィナンシャルグループ、東京海上日動火災、太平洋セメント、清水建設、東京電力、JR東日本、アサヒビール、サッポロビール、IHI、住友重機、古河機械金属、日本郵船他枚挙にいとまがありません。
一方、渋沢栄一は、欧州の金儲け主義一辺倒の資本主義に違和感を覚えていました。
そこで渋沢栄一は、利益追求に倫理を加え、日本型資本主義を発展させていきました。それが有名な論語と算盤です。
その一環として、渋沢栄一は、養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)、聖路加国際病院、一橋大学、日本赤十字社他非営利の団体を600も創りました。
なお、渋沢栄一は、電信の導入を奨めましたが、当時の政府は電信の凄さを気づかず、それが軍事にも役立つと気づきませんでした。もし、それに気づいたら、日本の電信技術は発達していたことでしょう。
真珠湾攻撃の時も、日本の電信のやりとりは米国に全て筒抜けだったそうです。
渋沢栄一は、豪農の長男で育ちました。父は利発な栄一に学問を学ばせることにしました。7歳の時、栄一は従兄弟の尾高新五郎(惇忠)の下で論語他学問を学びます。
渋沢栄一は天才的な頭の良さだったので、どんどん吸収していきます。
正義感が強く直情径行型の渋沢栄一だったので、若い頃の渋沢栄一は、腐敗しきっていた幕府を許せないと思い、倒幕に走ります。
しかし、それが無謀と悟ります。そして、変わり身の速さも渋沢栄一の真情ではないかと思います。
そういう素地があって、日本型資本主義を創っていったと思います。
渋沢栄一の生涯を見て、改めて偉大さを感じます。
実は私も渋沢栄一の性格にそっくり似ており、私は令和の渋沢栄一として生涯現役人生を生きています。
今月渋沢栄一は、新1万円札の顔となりました。
渋沢栄一が国債を発行を提案したので、明治新政府は殖産興業と富国強兵の2大国策を遂行できたのですね。
頭の固い財務省の役人も、1万円札を発行するだけでなく、国債を発行することが景気高揚に役立つことを認識して欲しいと思います。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
ふだんキャッシュレスの私は1万円札を使うことがほとんどありません。
昨日郵便局で新札交換して、3種類の新札を入手しました。
その後、ATMで1万円札と千円札を引出しましたが、全て旧札でした。
今はまだ新札と旧札の入れ替わる期間なのですね。
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