「マーキュリー通信」no.5479【ワンポイントアップの開運力-4「最強運の持ち主渋沢栄一がいたから日本的資本主義が発達した」】
私が常連参加している今朝の朝6読書会は、「乃公出でずんば 渋沢栄一伝」(北康利著 角川出版)を私が解説させて頂きました。
乃公(だいこう)とは俺様の意味。「乃公(だいこう)出でずんば」とは「俺がやらねば誰がやる」の意味です。
幕末、明治維新と時代の流れは大きく変わりました。
明治新政府は、富国強兵と殖産興業の2つの国策で欧米列強に追いつき追い越せと必死に国家を運営していました。
しかし、そのためには経済的基盤が必要不可欠です。
明治の元勲といわれた大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允、岩倉具視他は武士、公家の出身です。
よって経済音痴でした。
渋沢栄一は、当時誰も思いつかなかった公債証書の発行を提案し、採用されました。
公債証書とは、今でいう国債です。
そして渋沢栄一は、日本初の民間銀行、第一国立銀行を設立しました。
銀行を通じて渋沢栄一は、次々と会社を創っていきました。
殖産興業には、当時の日本に必要不可欠な鉄鋼、セメント、鉄道、電力、ガス、建設、製紙会社等必要でした。
同時に株式市場をその受け皿として創設しました。
横糸として、東京商工会議所を創り、経営者同士の和を大切にしました。
渋沢栄一の殖産興業の原点は、1867年第2回パリ万博視察にあります。
徳川慶喜は、軍事費調達の為、フランスから資金を借りようとしていました。
そのため、実弟の徳川昭武を団長に任命しましたが、当時若干14歳、その補佐役として渋沢栄一をつけました。
そこで渋沢栄一は、近代資本主義で栄えている欧州を目の当たりしました。
その焼き付いたイメージを素に日本型資本主義、即ち単に金儲けだけでなく、お金は世の中の為に立って、初めて役に立つと考えていました。
これが有名な渋沢栄一の「論語と算盤」です。
さて、若い頃の渋沢栄一は、正義感が強く血気盛ん、直情径行の性格でした。
腐った幕府に憤りを感じ、高崎城乗っ取り計画を企てます。今でいうテロです。
しかし、従兄弟が体を張って制止したため、テロを思いとどまりました。
その後、一橋慶喜の家来、平岡円四郎にその能力を買われ、幕府の家来に変わります。
もし、渋沢栄一が、倒幕に固執していたら、今頃幕府からテロリストとして、暗殺されていたかも知れません。
千載一遇のチャンスをモノにした渋沢栄一の変わり身の速さが、その後の渋沢栄一の人生が大きく変わっていくことになります。
もし、これがなかったら今頃日本は欧米の植民地になっていたかもしれません。
だから新1万円札の顔になるのも当然ですね。いや、遅すぎるくらいと思います。
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朝6読書会は、今朝で丁度600回となりました。
その主催者、中林久氏が、「乃公出でずんば」の精神で、9月23日(月、祝)第1回「日本の自主独立を語る会」を立ち上げます。ゲストスピーカーとして、50万人以上の人氣Youtuber及川幸久出版記念講演会を秋葉原ビジネスセンター4階で行います。
参加費4千円。私もスタッフ参加します。是非一緒に参加しませんか。
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