「マーキュリー通信」no.5449【人生に勝利する方程式-344「本日は、私が世界へと飛翔した原点の日」】
本日8月2日は、55年前1969年(昭和44年)朝日洋上大学第1期生として、400名の仲間と共に、貨客船さくら丸に乗船して、東京竹芝桟橋から、37日間の船旅に出港した日でした。
当時、朝日新聞は、新聞配達員不足から、新聞配達を朝夕1年間すると米国遊学できるという企画を発表しました。
当時は1ドル360円の時代、米国に行けることは夢の時代でした。
私も早速この企画に応募しました。
さくら丸の乗船期間は30日間。船上で、米国の歴史、文化、地理、経済等を学びました。
途中、ハワイ(オアフ島、帰路はハワイ島)、サンフランシスコ、ロスアンジェルスで下船しました。
当時20歳だった私は、見るモノ聞くモノ、全て貪欲に吸収しました。
また、日米間の国力の差を実感しました。
ただし、1ドル360円で物価換算すると、米国の物価は異常に高く感じました。
私はその半分くらいが適切と思いました。
要は、日本は為替レートのハンデを活かして、輸出を積極的に行い、戦後奇跡的な経済復興を果たすことができたことを社会人になってから分かります。
その後1985年(昭和60年)、プラザ合意により1ドルは200円を切る円高まで誘導されていきます。
私は高校2年生の時、世界を股にかけるビジネスマンになりたいという夢を抱きました。
その意味で、1969年(昭和44年)8月2日は、私の夢を叶える原点の日といえます。
その11年後の1980年12月末、私はカナダ三井物産カルガリー店に駐在することとなり、私の夢は実現することとなります。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
プラザ合意の前年の1984年5月に、私はカナダから帰国しました。
その際、車、家具一式を売却しました。売却代金は1万ドル程度となりました。
当時米ドル250円の時代でした。
しかし、私の後の駐在員は、プラザ合意の後に帰国したので、1ドル180円程度の円高になっていました。
よって、私は70万円程度の円高差益を得たことになり、運が良かったといえます。
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