「マーキュリー通信」no.5494【強運に恵まれた私の人生-2「母が5歳の時に他界、翌年父が家出。飢え死にから救出してくれた祖母」】
会社が倒産後、父はすっかりやる気をなくし、仕事をしませんでした。
調布市の6畳一間の先に1畳の縁側がありました。
父はそこで終日競輪新聞片手に、競輪の予想に夢中になっていました。
私の父親のイメージは、赤青の2色の鉛筆を耳につけながら、競輪新聞に取り組んでいる姿でした。
当然家計は火の車。母は、質屋通いをしていたことでしょう。
心労が積み重なり、母は私が5歳の時、悪性貧血で他界しました。
その翌年、父は一つ年下の妹を置いて家出してしまいました。
幸い実家の祖母が孫に会いに来たときに、私を発見しました。
もし、調布に引っ越さずに、目黒区に住んでいたら、私と妹は飢え死にしていたことでしょう。
その意味で、私は強運だったし、祖母には感謝しています。
その後、私と妹は祖母が母親代わりに育ててくれました。
祖母のことを思い出すと、今でも涙がこみ上げてきます。
祖母と一緒に撮った写真があります。
その時の祖母は60歳でした。白髪頭としわで、まさにおばあちゃんといった感じでした。
今は60歳の女性はまだまだ若いです。人生100年時代を感じます。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
母との思い出がほとんどない私の弱点があります。
ドラマで、母親が子供に愛情を与えるシーンを観ると自然と涙腺が緩みます。
それを横で見ている妻が毎回からかいます。
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