「マーキュリー通信」no.5496【強運に恵まれた私の人生-3「人生初めての挫折 高校受験失敗」】
調布中学3年生の時、担任の先生から「菅谷君、君なら立川高校合格間違いなし」と言われ、当時三多摩最難関の立川高校を受験しました。
しかし、両親を失った私は実家に預けられました。
実家は調布の自転車店。伯父さんの考えは、商人に学問は不要という家風でした。
夜は家族で花札をやっているような家でした。
また、学校から帰ると、親戚の伯父さんから奨められて、日本通運の荷物配達(今でいうペリカン便)をしていました。
その頃、ビートルズが日本でも大ヒットしました。
私はアルバイトで稼いだお金で、ビートルズのレコード(シングル盤)を買うのが楽しみでした。
荷物配達が終わると、ビートルズの歌を聴くのが楽しみでした。
一方、その年は東京オリンピックの年でした。
私が通う調布中学は、新甲州街道の近くにあり、マラソンの折り返し地点でした。
全校上げてマラソンを観に行きました。
さて、私は立川高校を1点差で不合格でした。
その報せを聞いて、国語のF先生が私のところに来て、土下座して謝りました。
「君は立川高校に絶対受かると思い、他の生徒を5にして、君を4にした」と涙ながら訴えてきました。
当時、美濃部都政が実施した学校群制度の実施前だったので、私立高校の受験生が滑り止めで受けていた都立神代高校に枠が空いたので、そちらに回されることが決まりました。
編入の手続きを受ける日が、国語の期末テストでした。
F先生の所に行き事情を説明し、試験を受けなくても良いことになりました。
3学期の国語の通信簿は、無試験にも拘わらず、5に戻っていました。
今を振り返ると却って良かったと思っています。
私の性格から、もし合格していたら有頂天となり、天狗になっていたかも知れません。
その意味で、子供の頃に挫折をしていて良かったと思います。
なお、中学生の時にビートルズの歌を歌いまくっていたので、私の英語の発音は日本人にしては良い方といえます。また、ビートルズのおかげで英語は得意科目となりました。
この挫折が後々私の開運の原動力となっていきます。
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