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2024年10月

2024年10月11日 (金)

「マーキュリー通信」no.5524【強運に恵まれた私の人生-9「日本列島改造ブーム終焉で私の人生が変わる」】


私が三井物産に入社した昭和47年は田中角栄列島改造の大ブームで国内景気は絶好調でした。

当時私は、デベロッパー部門の営業、開発本部の会計を担当していました。

開発本部の担当課長に気に入られ、銀座の高級クラブに招待されました。
そこで、高級カフスボタン、タイピン、タイタックを渡され、彼の所で働かないかと誘われました。
元々営業希望だった私は、もちろんそのオファーを快諾しました。
そして、昭和49年に異動することになっていました。

ところが昭和48年に第1次石油危機が発生し、列島改造ブームは終焉しました。
そして、私の異動もなくなりました。

もし、デベロッパー部門に異動していたら、私は三井物産の不動産デベロッパー部門で物産マン人生を送っていたことになります。

今想うと、異動しなくてよかったと思っています。
なぜなら、中曽根内閣の時の通信の自由化で、三井物産は情報産業部門を立ち上げますが、そちらへの異動はなかったことでしょう。そして、現在の自分はなかったかも知れないからです。

同課長から頂いた高級カフスボタン、タイピン、タイタックのセットは今でも大事に保管しています。


◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

私が常連参加している朝6読書会は、毎週水曜日21時~22時半にも実施しています。
来週水曜日10月16日は、饗庭(あえば)浩明JCU議長です。
饗庭議長は、2015年の大統領選挙で、当時泡沫候補といわれたトランプ氏を大統領に当選させた貢献者の一人です。
現在、トランプ大統領と直接話せる数少ない日本人の一人です。
日本の自民党が今や崩壊の危機に立っていますが、今後保守陣営の政界再編成のキーパーソンといえます。

また、私自身も5年前に饗庭議長が提唱する暗号通貨が来月上場予定の見込みです。
その原資を、日本初のシニアとシングルマザー、シングルファ-ザー用シェアハウス ユートピア館の原資として充当します。

その意味で私の人生を大きく変えることになるキーパーソンともいえます。
下記URLから入場できますが、満席も予想されますので、事前にご連絡戴けましたら幸いです。
◯夜の部 
https://us02web.zoom.us/j/84545766896
ミーティングID: 845 4576 6896
パスワードを要求された時は
パスコード: 778899

?当日のアシ゛ェンタ゛
20時50分? 開場
21時00分? インタヒ゛ュー、質疑応答

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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2024年10月10日 (木)

「マーキュリー通信」no.5523【強運に恵まれた私の人生-8「入社時に希望しなかった経理に配属」】


三井物産では、入社前の内定時に、希望部署を書く欄がありました。
私は、営業希望、その中でも鉄鋼部門を希望しました。当時、鉄は国家なりの時代でした。

ところが入社時の配属先は、開発本部管理会計部開発会計課でした。
私は、一番行きたくない会計に配属されたのでがっかりしました。
三井物産では、入社時3年間は、若手の基礎知識をつけるために、財経部門、運輸部門に配属する慣例がありました。

当時、三井物産では、経理のコンピュータ化が進んでいました。
しかし、私の所属した開発会計課は、不動産デベロッパー部門だったので、1件の取引単位が高額なので、コンピュータ化になじみませんでした。よって、手書き中心の会計でした。
取引の際の勘定科目も、レアなケースが多く、経理規程を基に、上司と相談しながら決めていきました。
これが私にはラッキーでした。また、直属上司の田島課長代理は、私の指導を懇切丁寧に教えて頂きました。上司にも恵まれ、おかげで経理の知識を考えながら蓄積することができました。

同期入社の中には、最初から営業部門配属の社員もいました。
中には、同じ鉄鋼営業を7年間も担当し、余人を持って代えがたしという存在のK君がいました。
逆にいえば、他の部署では使いづらいということにもなります。
幸い、私は3年毎に人事異動させて頂きました。しかも全て私の希望通りの異動でした。
三井物産在籍は25年間でしたが、10の異なる職場を経験させて頂き、様々な経験を積むことができました。

現在、経営コンサルタントをしていますが、入社時3年間の経理経験が役に立っています。
また、マーキュリー物産の決算書類の作成も20年以上税理士に頼まず、自分でやっています。

そして、経営コンサルタントとして、様々な視点、切り口でアドバイスできるのも、三井物産時代の経験が大きく役立っています。その意味では、三井物産に感謝しています。


管理会計部開発会計課在籍中に、人事担当のO次長より呼ばれました。
北欧研修員としてスエーデンに行かないかと打診されました。
それを受けると、私は一生経理部門の一員として働くことになります。
私は経理部門の一員として働くつもりはなかったので、その場でお断りしました。

これも、自分の人生を決める大きな決断でした。


◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

私が常連参加している朝6読書会は、毎週水曜日21時~22時半にも実施しています。
来週水曜日10月16日は、饗庭(あえば)浩明JCU議長です。
饗庭議長は、2015年の大統領選挙で、当時泡沫候補といわれたトランプ氏を大統領に当選させた貢献者の一人です。
現在、トランプ大統領と直接話せる数少ない日本人の一人です。
日本の自民党が今や崩壊の危機に立っていますが、今後保守陣営の政界再編成のキーパーソンといえます。

また、私自身も5年前に饗庭議長が提唱する暗号通貨が来月上場予定の見込みです。
その原資を、日本初のシニアとシングルマザー、シングルファ-ザー用シェアハウス ユートピア館の原資として充当します。

その意味で私の人生を大きく変えることになるキーパーソンともいえます。
下記URLから入場できますが、満席も予想されますので、事前にご連絡戴けましたら幸いです。
◯夜の部 
https://us02web.zoom.us/j/84545766896
ミーティングID: 845 4576 6896
パスワードを要求された時は
パスコード: 778899

?当日のアシ゛ェンタ゛
20時50分? 開場
21時00分? インタヒ゛ュー、質疑応答

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2024年10月 9日 (水)

「マーキュリー通信」no.5522【強運に恵まれた私の人生-7「三井物産入社内定」】


私が三井物産に入社した昭和47年(1972年)は高度成長の最盛期でした。ただし、内定は前年3月大学3年生の年でした。
同期入社は300名以上でした。
団塊の世代は昭和22年~24年に産まれ、3年間で800万人以上産まれました。
大量に産まれた団塊の世代を受け容れる余地が、当時高度成長時代の日本の産業界にありました。
三井物産でも同様でした。

しかし、翌年1973年第1次石油危機が発生、狂乱物価、スーパーマーケットから食品やトイレットペーパーがなくなってしまうというパニックが発生しました。

そして、日本は不景気へと一気に突入します。

昭和50年(1975年)の新入社員の数は半減、150名となりました。

私が卒業する頃、不景気だったら団塊の世代を受け容れる余地が三井物産にもなかったといえます。
その意味でラッキーだったと思います。

三井物産入社以降も、日本や世界的な大事件や出来事が多発します。
しかし、それらのことが私の人生にプラスに働きます。

それは今後メルマガ「マーキュリー通信」を通じてご紹介したいと思います。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

私が常連参加している朝6読書会は、毎週水曜日21時~22時半にも実施しています。
来週水曜日10月16日は、饗庭(あえば)浩明JCU議長です。
饗庭議長は、2015年の大統領選挙で、当時泡沫候補といわれたトランプ氏を大統領に当選させた貢献者の一人です。
現在、トランプ大統領と直接話せる数少ない日本人の一人です。
日本の自民党が今や崩壊の危機に立っていますが、今後保守陣営の政界再編成のキーパーソンといえます。

また、私自身も5年前に饗庭議長が提唱する暗号通貨が来月上場予定の見込みです。
その原資を、日本初のシニアとシングルマザー、シングルファ-ザー用シェアハウス ユートピア館の原資として充当します。

その意味で私の人生を大きく変えることになるキーパーソンともいえます。
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2024年10月 8日 (火)

「マーキュリー通信」no.5521【自分の健康は自分で守る-321 「思い込みから解放」】

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先月東大眼科で精密検査を受け、緑内障と診断されました。
東大医師は、上から目線で、患者の側に立たず、「とにかく目薬をさすように。さもなければ10年後に失明の恐れがある。また目薬で緑内障が改善されることはない。あくまでも現状維持。」と脅かされました。
私は、「点眼薬はものすごく面倒くさい。今は特に自覚症状がないので、暫く様子見をしたい」
そこで紹介元の地元眼科医と相談しました。

その眼科医は、患者目線で接してくれます。
「点眼薬は、1日1回さすだけでOK」とのことでした。

私は、毎日起床時と寝る前に、ソフトコンタクトレンズ用の生理食塩水を1滴ずつさしています。
その習慣があるので、特に面倒くささは感じません。

私の、緑内障点眼薬の面倒くさいという思い込みから解放され、今は夜間に1滴点滴しています。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

2021年12月に「現代の3本の矢力 10倍アップの極意」(玄文社1540円)を出版しましたの。
「現代の3本の矢力」とは、思考力、人間力、健康力の3つの総合力です。
著者サイン入り送料込み1000円でお譲りできます。ご希望の読者はご連絡いただけますか。
また、アマゾンから「健幸力10倍アップの極意」(その1 自分の健康は自分で守る)、「健幸力10倍アップの極意」(その2 50歳を過ぎても健康を維持する秘訣)を出版しています。是非アクセスしてみてください。

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2024年10月 7日 (月)

「マーキュリー通信」no.5520【強運に恵まれた私の人生-6「朝日洋上大学第1期生2次募集合格」】


私が大学1年生の時に、朝日新聞が配達員確保の為に、朝日洋上大学を開講しました。

新聞配達を朝夕1年間配達すると、船で米国に遊学できるという制度です。

一橋大学1年生の4月は、新入生を各倶楽部が熱心に誘う時季です。
私は剣道の経験が全くなかったのですが、先輩剣道部員の熱心な勧誘により入部しました。

その情報を、同じ剣道部のT君から聞きました。

朝日洋上大学には、全国学生375名が参加しましたが、一橋大学からはT君と私の2名だけでした。
もし、私が剣道部に入部していなかったら、朝日洋上大学に参加していなかったので、ラッキーでした。
T君とは乗船してから親しくなり、現在に至るまでの親友となっています。

当時、1ドル360円時代、日米の国力の格差は圧倒的でした。

高校2年生の時に、「世界を股にかけるビジネスマンになる」と決意して、一橋大学を受験しました。

大学2年生、私が20歳の時に渡米しました。
そこで見聞するモノを貪欲に吸収しました。
朝日洋上大学は、私の国際ビジネスマンの原点の位置づけとなります。

一橋大学受験、そして朝日洋上大学、私にとって人生2番目のチャレンジでした。

チャレンジすることで、人生の可能性が大きく開いていくことを実体験しました。

失敗を恐れず何でもチャレンジするチャレンジングスピリットの原点ともいえます。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

大学入学まで、剣道をしたことがなかったので劣等生でした。
朝日洋上大学参加で1年間休部したため、復帰したら同期の仲間との実力差は歴然としていました。
一橋大学剣道部の仲間は素晴らしかったです。先輩にも可愛がって頂きました。

しかし、練習についていけなくて退部届けを出しました。

卒業後、剣道部の同期仲間との飲み会にも参加しました。
しかし、同じ釜の飯を食った仲間という感覚がなく、違和感を覚え、徐々に遠ざかっていきました。

今思うと、劣等生は劣等生として適当に練習に参加し、卒業まで続ければ良いと思いました。

私の人生に後悔があるとしたら、唯一剣道部の退部があります。

それ以来私は仲間との縁を大切にすることを学び、良い仲間がいる会なら、辞めずに続けることを現在の基本方針にしています。

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2024年10月 6日 (日)

「マーキュリー通信」no.5519【奇人変人が世の中を変える!-528「財務省にコントロールされている石破新政権では、経済成長は絶対ない!」】

 

石破新政権が誕生と同時に、総選挙解散、10月27日が投票日となりました。

緊急解散の裏には、野党が選挙戦を戦える準備が整う前に選挙戦を有利に展開しようという思惑があると思います。

また、ディープステート側の思惑、お役御免となった岸田を首にしたので、早く総選挙をやって石破体制を作ろうとする思惑が働いているのではないかと思います。

米国大統領選では、トランプが圧勝するとの予測でした。
しかし、なりふり構わぬディープステート側は、バイデン政権になってから1000万人の不法移民を入れました。
彼らの大半を、民主党と共和党の激戦州に住まわせ、選挙権も与えているそうです。
激戦州の不法移民の数は、多い州で7倍以上に膨れあがっているそうです。これではトランプも勝ち目がありません。

岸田政権時代、ディープステートの下請け機関WHOを通じて、国際パンデミック条約を推進中です。

これが成立すると、WHOは、各国政府の了承なしで、緊急事態宣言を発し、国民にコロナワクチン接種を義務づけることができます。違反者には、刑罰を与えることができるようになります。
そして、コロナワクチン反対異見は誤情報として取り扱うよう法的な準備も進めています。
まさに全体主義国家を突き進んでいます。

近々コロナウィルスの代わりにMPOX(サル痘)を生物兵器として使用を検討中と聞いています。

そのためにレプリコン・ワクチンが日本の明治ファル魔社で開発中で、今月1日から高齢者を対象に接種を開始しました。
予想通り、既に実験段階で多数の犠牲者が出ています。

さて、財務省にコントロールされている石破政権では、日本の景気は絶対に良くなりません。
よく失われた30年と言われます。その最大の元凶は消費増税とプライマリーバランス(財政均衡)です。
この2つの影響で日本はデフレ時代がずっと続いているのに、財務省は一切改めようとしません。

それは財政均衡政策が出世コースとなっているからです。

人間は、洗脳されるとどんなに間違っていても正しい判断はできなくなります。

経済評論家森永卓郎氏は、30年前に日本社会に衝撃を与えたカルト宗教、オウム真理教に倣いこれをザイム真理教と呼んでいます。

宗教は人を幸福にするのが仕事です。
しかし中には悪徳宗教も多数あります。
中でも、入信者や社会に害を与える宗教をカルト宗教と呼んでいます。

森永卓郎氏は、財務省の財政均衡という教義により、30年以上日本国民は所得が増えず、経済苦に喘いできました。
先進国の中では日本だけ経済成長から取り残され、経済苦で毎年3万人も自殺者が出ています。
先進国でこんな國ありません。だからザイム真理教と呼んでいます。

ザイム真理教のプロパガンダ機関は、政府とマスゴミです。
マスゴミは、財務省に逆らうと、税務調査という伝家の宝刀を抜かれ、巨額の税金を没収されていきます。
だから従順を決め込んでいます。

我々国民はザイム真理教の洗脳から逃れ、自分たちの命と財産は自分たちで守るという意識を強く持ち、暮らしていくことの重要性を、石破新首相の抜き打ち解散から読み解きました。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆


WHOはWorld Health Organizationの略ですが、今やWorld Hell Organizationの略と揶揄されています。

ビル・ゲイツ、製薬会社等の出資金で成り立っており、コロナワクチンでファイザー社、モデルナ社、そしてビル・ゲイツはぼろ儲けしました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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2024年10月 5日 (土)

「マーキュリー通信」no.5518【奇人変人が世の中を変える!-527「ディープステートと戦う原口一博元総務相に拍手喝采!」】


ウィキペディアを見ると、原口一博代議士(立憲民主党)は、元々は自民党の代議士として政界進出し、その後自民党政治に反発して民主党に移籍しました。
民主党でも、党議に反対する気骨のあるところを見せています。そして、靖国神社を参拝しています。

昨年4月ツイッターで、コロナワクチンにより悪性リンパ腫に罹患した旨報告しました。

今回同代議士が書いた「癌になった原口一博が気づいたこと」(青林堂 本年6月出版)を吉野敏明氏(銀座エルディアクリニック院長)を読みました。

同書の中で、コロナワクチンはディープステートが仕掛けたモノと堂々と公言しています。

現在、日本はWHOの指示を受けて、WHOテドロス事務局長、中谷議長、そして武見前厚労相と悪のトリオが、国際パンデミック条約を批准に向けて全力投球中です。

同代議士は、国会で上川陽子外相(当時)に、その危険性を訴え、撤廃を訴えていましたが、上川外相は、のらりくらりと交わし、受け答えを回避しました。

政府は、現在5000億円の補助金を出して、明治ファル魔社にレプリコン・ワクチンの開発を進め、今月1日から高齢者を対象に接種を開始しました。
実験段階では、既に多数の死者を出しており、国民の命を守る政府が真逆の行動をしています。

同代議士は、その反対のために、「WHOから国民の命を守る会(林千勝氏主催)」にも毎回登壇し、その危険性を訴えている行動派代議士です。

先月末、立憲民主党も代表選を実施し、野田元首相が党首に返り咲きました。

民主党が政権交代を果たしたとき、消費増税に猛反対していた野田党首は、財務省から首相の座と引き替えに、手のひらを返し、消費増税に踏み切りました。

そんな国民を裏切った党首では、立憲民主党は今度の総選挙で新たな風を起こすことはできません。

この際、原口代議士は、減税日本河村たかし名古屋市長ともかつて共闘した経験があります。
日本保守党の共同代表を務める同市長とも再度共闘し、腐りきった自民党粉砕に立ち上がって欲しいと思います。

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2024年10月 4日 (金)

「マーキュリー通信」no.5517【人生100年時代をぴんぴんころりで楽しく生きる法-145「夫婦でジョークを言い合う」】


我が家では夫婦でジョークを言いながら家の中を明るくしています。

先日、TV番組で、家の特集があり、そのナビゲーターが家守(やもり)さんという変わった名前でした。
妻はすかさず「それなら私は家を守っているので居守(いもり)!」と応え、爆笑でした ( ^)o(^ )

今朝のTV番組では、河口湖周辺を自転車に乗ってサイクリストが案内していました。

そこで私は、サイクリストを祭栗巣人と書いて妻に、「この漢字読める?」と聞きました。
妻からは直ぐに「サイクリスト」と返ってきました。

私は横文字をよく漢字にして楽しんでいます。これはぼけ防止にもなります。

夫婦も長年連れ添っていると、夫婦で会話することが少なくなります。
ジョークを言い合うだけで、家の中が明るくなります ( ^)o(^ )

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

今年5月に75歳になりました。それを記念して、アマゾンから「人生100年時代をピンピンコロリで10倍楽しく生きる極意」を電子出版しました。
電子書籍990円、紙で読むこともできます。その場合、送料込みで1100円です。是非アクセスしてみてください。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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2024年10月 3日 (木)

「マーキュリー通信」no.5516【ワンポイントアップの感謝力-51「母から父へ、愛のバトンリレーに感謝」】


一昨日昨日と横浜で「母への反省」を受け、丸1日深く自分の4分の3世紀の人生を見つめました。

母は私が5歳の時に他界しました。
翌年父は、育児放棄、1歳年下の妹を置いて家出をしてしまいました。
祖母が幼い二人を引き取り、母親代わりに育ててくれました。

本来天真爛漫な性格の私だったので、両親が居ない寂しさを特に感じませんでした。また、コンプレックスも感じませんでした。
母の実家は街の自転車店。商人に学問は不要という家風でした。
そこで思い切り羽を伸ばし、遊びまくっていた子供時代でした。

10年後、父は家出から帰ります。
父の姿は着の身着のまま、ホームレス状態でした。

その時私は、「父親のように絶対になりたくない」と心に誓いました。
その時、「将来世界を股に掛けるビジネスマンになる」と誓い、そこから受験勉強に全力投球し、一橋大学商学部に現役合格しました。その後、三井物産に就職しました。

それ以来私は、父を生涯反面教師とし、努力精進してきました。
その努力精進の習慣は現在までずっと続いています。

母は、「5歳で亡くなっても、ノブオは立派に生きていけるだろう」と厳しい愛の鞭を与えてくれたモノと思っています。

父の側から見ると、ホームレス状態で家出から帰るのは、よほど勇気がいることだったと思います。
当然、祖母や伯父伯母から育児放棄の罪を問われます。息子、娘からも軽蔑されます。

その恥を忍んで、家出から帰ってきました。
もし、父が蓄財して、実家にそれまで面倒を見て頂いた事に感謝し、多額の謝礼金を支払っていたら、事情は変わっていたかも知れません。無口な父は過去10年間のことも口にしませんでした。

もし、両親ともに健全で普通の家庭に育っていたら、私はそこそこの大学に進学し、会社経営をしていたかも知れません。
しかし、父同様お人好しの私は、脇甘経営で会社を倒産させていたかも知れません。

父からは、他人に頼らずに生きていくという独立不羈の精神が子供時代に養われました。
そして、努力精進の習慣が身に付きました。
今想うと、この2つは私に後天的に授けられた宝物です。


団塊の世代は、来年全員75歳以上となります。
国家財政は、後期高齢者となった団塊の世代の面倒を見る余裕はありません。

現在、75歳以上の後期高齢者では、寝たきり痴呆老人問題が大きな社会問題となっています。
高齢者の孤独死も社会問題となっています。

一方、離婚率が増加し、現在36%まで上昇し、経済的に困っている母子家庭問題も新たな社会問題となっています。

そんな、現代社会の諸問題を解決のために、今年3月にユートピア建設合同会社を設立し、日本初のシニアとシングルマザー、シングルファ-ザー用シェアハウス ユートピア館の第1号棟を来年末に埼玉県に建設予定です。

ユートピア館では、入居者の年配女性とシングル・マザーが相互扶助の精神で、お互いに助け合う仕組みを創っていきます。
昭和の大家族主義の復活です。

ユートピア建設合同会社から私は役員報酬は頂きません。私の報酬は、入居者の幸福です。
幸福の増大を図ることで、25年掛けて全国に1万棟建設する計画です。
もちろん私一人ではできません。事業承継も視野に入れながら、人材育成と雇用も生んでいきます。
社会人になって53年目ですが、私のこれまでの経験の集大成の事業となります。

この事業は両親に対する恩返しでもあります。
母から父への愛のバトンリレーに対する感謝、報恩行です。」
感謝というスコップで地面を掘り進んでいくと愛の泉があふれ出てくるイメージが湧いてきました。

ユートピア館事業では、AIも使います。しかし、それよりも大切なのは、「愛」です。

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2024年10月 2日 (水)

「マーキュリー通信」no.5515【知らぬが佛と知ってる佛-40「現在1番売れているベストセラー書『私たちは売りたくない』、内部告発文の影響力」】


本書は、明治ファル魔社の営業マンの内部告発本です。

同社は、明治グループの医薬品部門ですが、彼らはMR(営業マン)として誇りを持って薬品を販売してきました。

しかし、同社営業マンの若手営業マンの影山晃大君がmRNAワクチン接種の数日後に26歳の若さで突然死亡し、社内にショックが走りました。

そこでmRNAワクチンの実態を調べていくと、私がメルマガで度々書いているの同様の症例、すなわち多数の超過死亡が発生していることが分かりました。

厚労省は、これまでコロナワクチンの副反応は軽微であるし、コロナウィルス予防に絶大なる効果があると信じてきたのが、嘘であることが分かり、愕然としています。

もし、製薬会社が、同様のことをしたら、営業停止となり、関係者は処分されることになります。

現在同社が昨日から発売したレプリコン・ワクチンは、mRNAワクチンが一度接種されると、シェディングといい、次から次へと増殖していきます。
ワクチンそのものに効果があるならそれが強力な強みとなります。
しかし、実験段階でも多数の死者が出おり、強みが裏目に出ています。

これでは彼らのMRとしてのプライドはずたずたです。そして、誰一人販売したくないと言っています。
もし、彼らの得意先である医師が接種した患者から死者が続出すること予想しただけでも恐ろしくなります。
彼らにも家族がいます。家族や同僚から死者が出たら、その時の悲しみを考えたら、恐ろしくて販売はできません。

最近では、レプリコン・ワクチンは取り扱わない医師も増えてきました。
また、レプリコン・ワクチン接種者の出入り禁止を伝える医師も出てきたそうです。
さらに、明治製菓のチョコレートの不買運動も起こっています。

同書には、5月31日日比谷公園レプリコン・ワクチン反対の国民運動も載っています。一部のアジテーターが先導しているのではなく、大半が一般国民の反対運動と真摯に受け止めてます。

米国とWHOの手先となり岸田政府はレプリコン・ワクチンの開発販売のために、明治ファル魔社に5000億円の補助金を出しました。
諸外国では、日本人が実験して、安全なら取り上げるけど、現時点ではリスクが高く、取り上げません。

そして、コロナワクチンの利権構造のトップにいる武見前厚労相も近々次のパンデミックを引き起こし、そのためにレプリコン・ワクチンが必要とうそぶいていました。彼の頭の中は、儲けることしかありません。

しかし、同書では、明治ファル魔社の社員が、レプリコン・ワクチンは臨床実験が不十分であり、死者も出ている状況で今後も発売を強制し、死者が急増したら、同社の幹部は刑事責任をとらされ、逮捕の可能性も出てきました。
さらに同社の社史にも大きな汚点を残すことになります。

本書を書いた同社の社員の勇気に拍手喝采です。
現在ベストセラー書第1位にランクインしており、もし同社がこの営業マンに罰なり解雇したら、さらに世の中は炎上することになるでしょう。
そして、これまで見ざる聞かざる言わざるを貫いてきたマスゴミも、報道せざるを得なくなるでしょう。

そして、政府も暴走をストップせざるを得なくなるでしょう。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

同社の文字変換すると、どうしても明治ファル魔と変換されます。
パソコンからのレプリコン・ワクチンは悪魔扱いされているのでしょうか?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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2024年10月 1日 (火)

「マーキュリー通信」no.5514【強運に恵まれた私の人生-5「一橋大学商学部現役合格」】


前回の「マーキュリー通信」で、【強運に恵まれた私の人生-4「10年ぶりに父が家出から帰ってきたので、伯父の自転車店の跡取りの予定が消滅」】を書きました。

ホームレス状態の父のみすぼらしい姿は今でも脳裏に焼き付いています。
その時、「絶対に父のような人生を歩みたくない!」と強く想いました。

街の自転車屋の跡取り息子がなくなり、自分自身どうしたら良いか、真剣に考えました。
そこで出た結論が、「日本は資源小国。貿易が国是。それなら将来世界を股にかけるビジネスマンになって國に貢献しよう」と決意しました。

そのために一橋大学商学部に進学するのがベストとの結論に達しました。

しかし、それまで勉強らしい勉強をしたことがなかった訳ですから、今想えば無謀としか言いようがありません。
また、家が貧乏だったので浪人はできません。

一橋大学合格のために、受験戦略と戦術を立てました。
受験戦略は、一橋大学の受験科目は英数国の3科目でした。
その内、英数は私の得意科目でした。
しかし、現代国語は苦手でした。
そこで、現代国語で評判の高い横田賀太郎先生の許を尋ね、趣旨を説明し、了解を取り付けました。
朝日新聞の天声人語と社説を読解し、毎日横田先生にチェックしていただきました。

また、都立神代高校は、一応進学校ですが、大学受験をする雰囲気ではありません。

そこで、親しくしていた生物の矢野善久先生に、国公立、早慶他一流私大希望クラスを作るようにお願いしました。そして、矢野先生には担任もお願いしました。先生は、私の申し出を快く受けて頂きました。
その年、1968年だけ、一橋大学現役合格者、そして早慶他一流私立大合格者が続々と輩出しました。

一方、私は高校受験の際、一番最初の受験科目国語でつまずきました。
上がってしまい、手が震えたため、一番得意な漢字の書き取りが良くできませんでした。
これが影響して、得意の数学もNGでした。その結果、当時最難関校立川高校を1点差で不合格でした。

そこで、1年半徹底的に受験勉強しました。
同時に、国立にある一橋大学を訪ね、有名な兼松講堂の写真を自撮り、その写真をいつも眺めていました。
そして、自分は既に一橋大学の学生になったとイメージしていました。
その頃は全く知りませんでしたが、今でいうイメージトレーニングであり、予祝でした。
また、大だるまを買って、片目だけ墨を入れ、合格したらもう片目にも墨を入れるつもりでした。
さらに、一橋大学の手ぬぐいを頭に巻き、背水の陣で臨みました。

その他受験戦術は多数ありましたが、ここでは省略します。

翌年2月一橋大学商学部の倍率が前年の4.7倍から7.9倍に跳ね上がりました。
私が産まれた昭和24年はベビーブームの年で一番新生児が産まれた年でした。
この倍率を知り、さすがにびびりました。

翌月3月9日に発表がありました。
私の受験番号は359でした。直ぐには怖くて見ることができません。
周囲から徐々に359番に視線を移していきました。そして、359番を見つけました。
私が生涯で一番感動した瞬間でした。
これはまさに天佑、神のご加護としか思えませんでした。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

担任の矢野先生は、その後都立忠生高校の校長に出世しました。
転勤となってからも、矢野先生とは良く会いました。

ある時、先生の奥様から電話がありました。
死の直前、先生が菅谷君に会いたいと言っていたので、是非線香を上げに来て欲しいと頼まれ、先生の通夜に参列しました。


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