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2025年1月31日 (金)

「マーキュリー通信」no.5648【ワンポイントアップの感謝力-61「本日は母の100歳の誕生日、母に感謝」】

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「マーキュリー通信」no.5652【ワンポイントアップの感謝力-61「本日は母の100歳の誕生日、母に感謝」】
本日は母の100歳の誕生日です。
母は、私が5歳の時、30歳の誕生日を迎えた半月後の昭和30年2月15日に他界しています。

母は調布市国領にある慈恵医大病院で亡くなりました。
母の病室を訪ねた記憶があり、その時の母は寝間着姿で、腕はしゃもじの柄ようにやせ衰えていました。
そんな印象しか残っていません。

当時の菅谷家は、父が株で騙され、家業の問屋が倒産し、父はすっかりやる気を失い、働いていませんでした。
一家の収入がなくなり、極貧の状態だったので、母は食べ物を私と妹に食べさせ、自分は飢えをしのんでいたのだと想像します。
それが影響して早死にしたのだと思っています。死因は悪性貧血とのことでした。

母は最期、父に「のぶおを是非幼稚園に行かせて欲しい」と懇願しました。
しかし、母の願いは叶わず、父はその1年後6歳と5歳の二人の子供を置いて家出をしてしまいました。

私は悪戯っ子でした。
よく悪戯をして、母に押入や物置に入れられたことを記憶しています。

隣の農家に肥だめがありました。4歳の時、その肥だめに落ちて、母に助けられたことを覚えています。

母の料理で、にんじんの千切りに卵の炒ったのを混ぜてよく食べたことを覚えていました。それが最幸の料理でした。

それ以外の記憶はほとんどありません。母に抱きしめられた記憶もありません。
母と一緒に撮った白黒の写真も2~3枚しかありません。

それでもこれらの数少ない記憶を辿るだけでも母の愛情を感じます。
そんな母には感謝の気持ちでいっぱいです。

丁度今頃、母の好きな花、フリージアが花屋に出る頃です。
今年も黄色のフリージアを買いました。そして、フリージアの花を食卓に飾って、母を偲んでいます。
どういうわけか涙が止めどもなく出てきます。
そして、天国の母に「僕を生んでくれたありがとう!」と感謝の気持ちを伝えます。


本日はこれから能登半島地震のチャリティコンサート(2月2日)に出かけます。
まだ被災地を訪ねていないので、被災地でお金を使い、少しでも貢献できたらと思っています。

それまでは「マーキュリー通信」はお休みとなりますのでよろしくお願いします。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

親に恩返ししたいときに親はなしと良く言います。
私は周囲の人に、「例え親が認知症になっても、親を大事にして上げてください」と伝えます。

島倉千代子の「東京だよ、おっかさん」という歌が大好きです。
一昨日、カラオケで母を思い出して歌いましたが、母を思い出し、涙が止まりませんでした。


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