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2025年6月 3日 (火)

「マーキュリー通信」no.5795【ワンポイントアップの感謝力-72「Mr.プロ野球長嶋茂雄に感謝」】


Mr.プロ野球長嶋茂雄の訃報のニュースが飛び込んできました。享年89歳。

私は、長嶋茂雄が巨人軍に入団した昭和33年以来の巨人ファンです。
それと共に、巨人は国民に絶大な人気でした。
巨人、大鵬、卵焼きと言われた時代でした。
子供は読売ジャイアンツのYGマークのついた野球帽を被って草野球に夢中になっていました。
その後、王貞治が巨人に入団し、ON砲として連続9年日本1という不滅の金字塔を達成しました。
ドラフト制度が定着した現在、この記録は永遠に不滅でしょう。

昭和49年長嶋茂雄の引退セレモニーで、有名な台詞「長嶋茂雄は引退しても、我が巨人軍は永久に不滅です!」にファンは涙しました。
私も、三井物産府中寮のTVの前で、人目構わず、大泣きしました。
その時、洗面器とタオルを用意し、タオルがぐちゃぐちゃになるくらい泣きました。

途中江川問題、桑田清原問題等世間から様々なバッシングを浴びてきましたが、私は巨人ファン一筋を貫いてきました。

私と長嶋茂雄とは一度ニアミスがありました。
第1次長嶋政権の時、成績不振で首になりました。
その浪人の最中に長嶋さんとの出会いがありました。
私は上司の娘さんの結婚式に参列するために仙台に行きました。
その帰りの新幹線のグリーン車に長嶋さんがひとりぽつんと座っていました。
その時目線が合い、長嶋さんも反応しました。
その時私は便意を催していたので、急いでトイレに駆け込みました。
用を足した後に、長嶋さんに挨拶すべきでした。
しかし、躊躇してしまい、私の座席に戻りました。

私は後悔しました。
私の人生で後悔は2度ありますが、その1つです。
それ以来、私は自分が思ったことは実行すると決め、現在に至っています。
なお、もう1つの後悔は、新刊書「人生に勝利する10倍アップの極意」に書いてありますので、そちらをご覧ください。

好きなスポーツはプロ野球と大相撲です。
中でもONは別格です。よく記録の王、記憶の長嶋と言われます。
私はエリートの王さんも大好きですが、おっちょこちょいの長嶋さんの方が人間味溢れていて好きです。私の性格と一部重なるところがあるからです。

脳梗塞になってからの長嶋さんの存在は、与える愛の存在でした。
長嶋さんがいるだけで、ほっとします。

しかし、いつかは別れが来るときが来ます。
そんな長嶋さんに対し、「ありがとうございます」とお別れの言葉、そして私に夢と希望を与えて続けてくれた長嶋さんに感謝の想いで一杯です。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

小学校1年生の時、草野球をやっていたときのことです。
私は補欠の補欠、外野で一番後ろのさらにその後ろで守っていました。
グローブは布製に毛の生えたようなお手製のお粗末なモノでした。

私が守備をしていると、中学生がホームランを打ちました。
その球が飛んできて、私のグローブの中に入ってしまいました。
私の大ファインプレーに私は一躍ヒーローとなりました。

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